ジーコ時代の日本代表を振り返る(その2)
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ラスタマン
2006年07月17日 13:24 visibility79
その1の「ジーコの不可解な選手選考」に続いてである。
2.ジーコ:素人同然の戦略・戦術
(1)システム不在
4−4−2とか3−5−2とかのシステム論をしすぎると本質を見誤る恐れがあるが、あえて触れたい。 結局ジーコはどういうシステムでチームを作りたくて、また今の日本の選手にどういうシステムが合っているかの答えをみつけられないまま4年間を空費してしまった。
ドイツ本大会に向けて日本代表は5月の合宿を3−5−2でスタートさせ、それ以降オーストラリアに敗退するまで4−4−2の練習はしなかったらしい。そしてオーストラリアに敗れると途端にシステムを4−4−2にし、クロアチア、ブラジルと戦った。 また、思い出して欲しい。2月の米国遠征では3−6−1を試していたことを。しかも運動量が求められる1トップに体調が万全でない久保を据えて。
「選手の自主性に任せる」 心地よい言葉であるが、結局ジーコにはチームの最終型についてイメージはなかったのではないか?
(2)コンディショニング不良
サッカーライターの後藤健生氏がドイツW杯前に「(ジーコにはもう戦術練習など期待できないから)あとはドイツ本番に向けて選手が最高のコンディションになれることを期待するしかない」という主旨の記事を専門誌に書いておられた。そして最近発売の専門誌で同じ後藤氏が「ドイツではコンディショニングに失敗していた」と。福島Jビレッジでの練習を全てオープンにして休日には1万人も2万人も観客を練習場に入れた。また、5月30日のドイツ戦にコンディショニングをピークに持って来てしまった、と。 弱者が強者を負かすに最も必要なのはベストなコンディションとそれをベースにした運動量である。(ヴァンフォーレ甲府を見よ。) それすらジーコは実現できなかった。
(3)先発メンバーの事前発表、練習の全公開
システム不在、コンディショニング不良の中でジーコは漫然と先発メンバーを事前に明かし、練習はセットプレイ含め全てオープンにしてしまった。最後の最後、W杯ではそんなことはなかろう、と淡い期待も抱いたが彼には届かなかった。 最後のブラジル戦、初めて先発メンバーを明かさなかったらしいがシステムが4−4−2ということは判ってしまっており、その場合の先発メンバーが誰か?も殆ど読めてしまっていた。 2002年のブラジルは練習は全てオープンで優勝した、とジーコは反論したこともあるが、日本はブラジルか?日本に優勝するだけの実力はあったか?また、今回のドイツ大会で練習を全てオープンにしたのは日本だけではなかったか?
(4)シュートばかりの練習
これはいろいろなところで報道されているのであまり深くは触れない。DFを置かないシュート練習。しかも一人何十本も。宮本が選手代表として「こんな練習意味がない」と言えなかったのだろうか?
(5)テストなし、常に真剣勝負のゲーム運び
テストマッチであとうがなかろうが、相手が格上であろうが格下であろうが、常に優先すべきは「勝利」。 彼がガッツポーズをするたびに虚しさが増すと感じたのは小生だけであるまい。
(6)五輪代表との連携なし
「アテネ経由ドイツ行き」などというマスコミ製造の怪しいキャッチフレーズがあったが、騙されてはいけない。連携など0であった。3バックを志向しメンバーを最後まで固定せずに戦った山本昌邦。システムを固められずメンバーは固定しまくったジーコ。ともに本番で1次リーグ敗退してしまった。(そう言えば、山本氏W杯によるJリーグ中断中にジュビロの監督をお辞めになられましたね。タイミングといい、自ら辞表を出したことといい、クレバーでいらっしゃいました。監督としてもう少しクレバーだったらよかったのに。)
(この項つづく)
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- 事務局に通報しました。
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