2007年年初に・その3<敵は内にあり>

2010年W杯南ア大会を目指す中で、心配なことが2つある。

その1.サッカー協会(裸の王様)
 ドイツでの惨敗を受けた記者会見。「オシム失言」という姑息な手段で自らへの批判をかわそうとした川淵某率いるこの組織が心配事の一つ目。心配事の最たるものは「報道規制」である。ジーコ監督時代に始まった「日本代表、サッカー協会を批判する記者を記者席から締め出す」(具体的には日本代表の試合の取材パスを当該記社には発行しない)という愚行はいかがなものか!? 古今、悪い情報、外からの批判に目をそむけたトップ、組織が繁栄したことはない。

 元々この組織には学閥(今の主要スタッフは東京の都の西北のさる大学出身者が多い(川淵某もそこの出身))、企業閥(その昔は○菱(現浦和レッズ)、○立(現柏レイソル)、○河(現ジェフ千葉)の○の内御三家が幅を効かせ、読○(現東京ベルディ)、○産(現横浜Fマリノス)といった新興チームに数々の嫌がらせをした歴史がある。そういえば川淵某は○河の出身ですね)があり、気をつけないとすぐに空気の淀む体質がある。

 幸い現監督のオシムは修羅場をくぐり抜けて来たしたたかな御仁だ。この程度のことは腹に収め、むしろマスコミをうまく使い推進力に変えてしまうくらいの芸当ができる。しかし、オシム後、川淵某後を考えた場合、この組織がどうなるか誠に心配である。(心臓に持病を持つオシムが2010年南アまで無事監督を務め上げられる保証はない。)

 

その2.弛緩したサポーター
 日本のサポーターがそれなりの人数でW杯予選を戦い始めたのは1994年アメリカW杯のアジア予選からである。この予選から代表のホームでのスタジアムが満員になりだした(最初に「サポーター」でスタジアムが満員になったのは1992年広島のアジア・カップ決勝のサウジ戦だろう。・・・1986年メキシコの最終予選(VS 韓国)、1988年ソウル五輪の最終予選(VS中国)も国立は満杯にはなったが、サッカーらしい緊張感が出たのは92年からだった。)。

 94年の予選の時は「勝ち点、得失点差、ホーム&アウェイ」というサッカー独特のルール、考え方が腹に落ちていないサポーターが多かった。(93年にようやくプロリーグのできた国ではそれも致し方なかったか) そしてドーハの悲劇が起きた。(あの時は韓国と勝ち点では並んでいたが、得失点差で敗れ去った)

 1998年フランスW杯。ドーハの悲劇も経験し、振り返ってみてこの時の予選が応援のまとまりは今一歩だったが、サポーターの悲愴感は相当なものだった。(その昔の悲愴感はそれ以上だったが、いかんせんサポーターの数が少なく、マスメディアでは殆ど取り上げられなかった) 特に国立での韓国戦の緊張感は他のスポーツでは経験できないものだった。(試合は加茂の迷采配で1−2で逆転負けをしてしまったが。)

 2002年は自国開催のW杯で予選がなかった。

 2006年。ホーム、アウェイの予選、ドイツでの本大会を通じ、サポーターに緊張感が(あまり)なかった。特にドイツでの本大会。「コノヒトタチハ、ナニヲシニキテイルノダロウ?」 何度思ったか。 要は「弛緩した」、「物見遊山的な」、サポーターが多すぎた。 もちろん高い代金を払い、はるばるドイツまで代表の試合を見に来たその熱意には敬意を払うし、個人がどのようにW杯を楽しもうが勝手といえば勝手だ。しかし、豪州戦の敗戦後、キャピキャピと豪州サポーターと記念撮影をする浴衣でドレスアップした若人を見るにつけ何度も思った。「ニッポンハダイジョウブナノダロウカ?」。

 一つ予言をしておきたい。このままでは「ドーハの悲劇はもう一度起きる」と。

 

 2010年に向け、正しく「敵は内にあり」である。。 

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