熱意とは事ある毎に意志を表明すること


Campionato segunda

Giornerra 29

Yokohama Fulie1-1Shonan(Colina del Mitsuzawa 19:04)


39,Alemao(Yokohama Fulie)
90,Kitajima(Shonan)

1972年、水俣病のデモ運動が一番激化した頃、そして水俣病の国と原因企業チッソへの訴訟運動、和解へ向けた団体のリーダーだった、川本輝夫氏が生前(川本氏は父を劇症性の水俣病で亡くし父を患者として認定させるため、そして本人も病気で苦しみながら戦った。川本氏は99年2月にがんで急逝。享年67歳)に座右の銘として遺した言葉。試合後にこの言葉がハッと浮かんだ。


まぎれもなく今日ボランチで初スタメン初出場を果たした水戸から移籍してきたベテラン、北島義生のことではないか。

今日のベルマーレも決して悪いわけではなかった。ニウ゛ァ、公祐を欠く中、義生さんは一人意思を持って飛び込み、パスを散らし、カウンターの基点になろうと奔走していた。

悠介、アジがいつものようにキープするもののサイドのトミが積極性を欠き、オマはミスを繰り返す。ちなみにマツとムラのCBコンビは互いに連携もよく、マツのカバーリングも良化。二人の連携でアレモンとカズにあまり決定的な仕事はさせなかった。今日の出来でいえば無難。まあ合格点。

39分にムラの最終ラインのパス交換、右のトミに出したのを左SBの小林宏之がインターセプトからカウンター。グラウンダー、中央カズ、アレモンヘスルーパス。マツの捨て身のスライディングタックルを冷静にフェイントで交わし左足ゲット。パスミスしたムラは責められない。フリエが狙いとしている徹底したカウンター戦術が奏功した芸術的なモノだったからだ。

ウチの問題はそこからで先制されいつものように動揺し、あまりにも無機質にサッカーをやっている選手、いわば闘争心を持った選手が義生さん以外誰もいなくなってしまったことだ。闘争心とは勝とうという意志、熱意。普通、負けているのにコーナーキックでフラッグまでチンタラ歩く馬鹿がどこにいる?悠介。だからキャプテンマークがマツになったんじゃないの?それで悔しくないの?上田さんに主将を任命されて「俺しかいないっすよね。やります!」と決意したのは悠介だろ!おまえこのままじゃ殻破れんぞ。


そのコーナーも城が自陣に戻ってダイビングヘッドでクリアしてたよ。勝ちたいという姿勢は伝わってきたよ。もう一本の右からのコーナーも北村が必死に蹴り出してた。


この差なんだぞ。この気持ちの積み重ねだぞ。フリエにあってベルマーレにないものって紛れもなく熱意だよ。高木さんはそれを植え付けたんだよ。もちろんカズ、素さんという最高の教科書の存在も大きいけど。


そんなウチにも熱意を持った男がただ一人いた。それが義生さんだった。サッカーの神とまでは言い過ぎかもしれないが、一番献身的でもがいていた彼に幸運は舞い降りた。ロスタイム右CK。フラビオのブラインドになる形、ファーでダイビングヘッド。菅野は全く反応できずゴール左隅へ。

義生さんの勝負への執念で負けずには済んだ。だがただそれだけ。

試合後のCURVA、「ただ追いついただけじゃん!」「もっとできるだろ!」その通り。


統一した熱意が感じられないことが悲しい。全員がタイトルの川本氏の熱意、今日の義生さんの熱意を少しでも出そうとしてくれ。こればかりは経験の積み重ねだがウチの選手は中堅が多い。考え方ひとつで何とかなるかもしれない。


とにかく諦めたような形で90分過ごすな。今日拾った、見方によっては失いつつ得た勝ち点1を水曜の仙台戦につなげろ。


フリエのULTRA、BLU TIGRE(TIFOSI YOKOHAMA)のダービーの煽り、これくらいやってくれないとこっちも気分が高揚しないってもんです!















































川本輝夫さんの追悼文集の表紙です。

 

写真は1969年に水俣病の原告団としてチッソ東京本社に乗り込んだときのもの。社長の机の上に座り、惨状を訴えているこの写真を見た事がある方も多いのではないでしょうか。

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