指導者と選手(私の場合)

昨日、サッカーの“名監督”についてとりとめのない話を書いていたら
ちょっと自分の過去を思い出してしまった。

自身は小学校5年生から高校3年生までバスケの選手だったので
私の指導者とは当然バスケの顧問(監督)のことになる。

小学生のとき、いきなりのことだが母校は全国トップレベルの強豪校だった。
バスケ部員は4年生から6年生までの3学年で100名以上、一軍15名、二軍20名、
三軍35名くらい、残りは四軍という、どこかのクラブチームのような学校だった。

一・二軍の指導者は体育大を出た元国体選手で、その的確な指導力は全国でも有名だったらしい。
三・四軍の指導者は普通の体育の先生というカンジで、バスケも学生時代にそれなりに経験した
という程度だった。
一軍コーチは時々下の練習を指導しながら才能のある子を見出し、上に引き上げたりもしていた。

5年1学期からバスケを始めた私はとりあえず三軍に籍を置き、
毎日基礎練習とミニゲームなどを楽しみながらバスケの面白さにハマっていた。
ちなみに当時は背が低かったのでポジションはガードだった。

5年の1学期終了前に一軍コーチから「君はドリブルが上手いね」と褒められたが、
残念なことに2学期から親の転勤で転校することになり、せっかくのチャンスは実を結ばなかった。

転校後の学校にはミニバスケ・クラブはあったもののお遊び程度の活動で、
技術の向上とか戦術を身につけるということはなく、ただ楽しく遊んだに過ぎなかった。

中学に進学して、“部活”でバスケ部に入った。
レベルは某市でそこそこ、という程度で、そんなに強いわけでもなかった。

そこの指導者は厳しいので有名ないわゆるスパルタ熱血コーチだった。
(中学・高校時代は強豪校で活躍し、大学でもやっていたらしい)
短距離走が苦手(鈍足)の私は入部間もない頃、チーム内のダッシュ競争で負けたことを理由に
いきなり往復ビンタを食らったりした。その後もよく殴られた記憶が・・・

今なら体罰教師として問題になっていると思うが、
当時はスパルタ指導全盛期で、何でも“根性”“努力”“忍耐”だった。

同じポジション(ガード)には、先輩だけでなく同級生でも運動能力の優れた子が居たため、
私は全く期待されなかった。

それでも負けず嫌いだった私は自分の得意なこと(ドリブルとロングシュートと持久走)を磨き、
先生に褒めてもらいたい・認めてもらいたいとの一心で練習に励んだ。

しかし、残念ながら私の努力はなかなか実らなかった。
そして中学2年の2学期に、また転校。
ちなみに、その時期急激に身長が伸びたためフォワードを経てセンターにコンバートしていた。

転校先の学校は「目指せ初勝利!」というくらいの弱小校だったし
指導者もバスケ経験者?と疑いたくなるような素人先生(失礼!)だった。
でも試合にはたくさん出してもらったし、初勝利にも貢献できた。
そういう意味ではエンジョイできたと思う。

そして高校時代。某公立高校で私にとって最高の指導者との出会いがあった。
実はその先生、公立女子高の顧問時代にインターハイで上位に行った経験があるうえ、
そこで全日本のキャプテンを育てた方だった。

だんだん私立の特待制度が過剰になり、公立ではそのレベルにいけなくなったものの
豊富な経験、確かな目を持ち、あらゆるネットワークを使った独自の指導法で
普通の高校では考えられないような専門的なコーチングをしてくれたのである。

公立の学校だったため素材は乏しかったと思うが、私は1年でレギュラーに抜擢された。
当時自分に自信がなかった私はまず驚いた。確かに身長が伸びて高くなってはいたが・・・。

そのときの先生の言葉。
「おまえは面白いプレーをする、そして負けん気が強い」
「セオリーをみっちり教えるから基本も押さえろ。あとは身体を作ってフィジカルで負けるな」

それからの私。人一倍練習熱心で、練習が休みの日も自主トレをするくらいになった。
筋力測定の結果、不足とされた筋肉を鍛えるためジムトレも欠かさず行い、
練習日誌も毎日つけ(先生と交換日記状態)、少しでも上手くなるよう努力した。

しかし皮肉なことに、3年生最後のインターハイ予選を前にして身体が悲鳴を上げた。
先天的に関節が弱かったため、どんなに筋力アップを図っても関節が耐えられなかったようだ。
練習試合中にムリな姿勢でファールを受けたときに肩を痛め、ドクターストップがかかってしまった。
それまでに膝、足首、股関節など何度も痛めてはそのたびに克服してきたが、
このときばかりはそれが難しい状況だった。

結局、痛みをこらえながら最後の試合までプレーを続けたが、
チームもあまりいい成績を残せないまま終わってしまった。
2年生のときの新人戦で収めた某県ベスト8が最高成績だった。

でも、自分にとって悔いはない。
正直、私の持っている能力はそんなものだったのだろう。
むしろ、高校時代あの先生に出会っていなかったらそこすら行けなかったに違いない。
結果より一生懸命頑張った経過に心から満足している。
私にとって最高の指導者に出会えたことに感謝するばかりである。

私自身、高校以降は完全引退。卒業後何度か参加したOB戦でも軽くしかプレーしていない。

そして、その十数年後・・・
肩を使わなくていいから!見るスポーツだったサッカーをやることになったとさ・・・



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