
ランナウェイ~いい想い出
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マッキ
2015年09月05日 00:10 visibility50
ファイターズがソフトバンクに自力で6つゲーム差を少なくできることは
現実です。まだ、現在、ソフトバンクとは10ゲーム差があります。
現実は、北海道で、ファイターズとソフトバンクの6試合で、6つゲーム差
がなくなるとしています。
86年のカープは、首位に4.5ゲーム差をひっくり返し優勝しました。
最後は、10連勝しました。
ひとつの糧です。
超現実的には、5年周期のロッテの日本一が妥当な気がします。
さて、さらに現実な自分の野球ですが。
明日の朝野球が雨天、グラウンド不良で中止になり、現実を離れて
います。
何故か?雨天中止は、野球するものにとって、本音、うれしいです。
何故、なんだろう?
心身ともに集中していた状態から、解き放たれた正直な感覚です。
中途半端な状態で野球をしたくない、また雨でも何でも野球がしたくて
仕方がない状態からひと呼吸です。
この雨が好きです。
高校2年の夏、雨で何度か、試合直前で、古川から仙台を何度か往復
しました。
準々決勝進出の試合前の前、仙台からとんぼ返りをしました。
(高速道路で3区間、それなりの距離です。)
試合前、はらをくくってから、雨でとんぼ返りです。
試合直前の雨で二度、とんぼ返りしました。
それを勝って、その次に勝って、準々決勝は第一試合だったので、
前日、汽車で少しゆったりと移動しました。
高校2年で覚えていることの、いい想い出のひとつです。
1回戦も第一試合で、前日宿泊でしたが、その後、バスで2試合+
雨で直前トンボ返りが2回もありました。
6回、古川と仙台を行き来し、いい充実感でもありました。
準々決勝敗退の後、夕方に仙台駅のビルでラーメンをみんなで
食べたことを思い出します。(朝の第一試合の後なのに、夕方に
仙台駅、それまでの過程は覚えていません。)
仙台の街で声をかけられたこと、さとう宗幸がラジオ番組で、
後輩はよくやったと言っていたことは覚えています。
それ以上に、準々決勝進出が決まった試合の後、帰りのバスを
囲んでくださった大勢の方、OBの方にびっくりしました。
あの時はプロ野球の選手の気持ちになれました。
おおへいな言い方ですが、還元しなくてはと思いました。
自分にできることから始めます。
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古川高校で楽しかったことを書いていきます。
甲子園とか想わなくても、高校1年生でレギュラーだった早実の荒木や
小沢、黒柳がいたから、それが自分の夢、目標と感じたころと同じく。
今の朝野球、草野球をしながら、古川高校の硬式野球部で楽しかった
ことを記していきます。
高校に入ってすぐは、練習試合、公式戦でも、野球用具を乗せたリヤカー
で、動きまくりました。
古川市内、練習試合、春の公式戦、リヤカーで、1年生部員、7人で動き
ました。
その時に、世の中で流れていた歌が「ランナウェイ」でした。
リヤカーで用具を運んでいたこと、この用具が試合に間に合わないとか、
感じたことがありませんでした。試合前はダッシュで、全力で運んでいた
として、当たり前に、試合を運営していたのですね。
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- 事務局に通報しました。
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