☆“おもい”







これは日記に残しておこうと思い筆を執りますた。






千葉県で開催された高校野球春季関東大会準々決勝で、個人的には“最初で最後?の夢の対決”、世間的には“因縁対決”が実現した。それは、取手二時代を含め春夏の甲子園で3度の優勝、通算40勝を挙げ、今年の夏の大会を最後に勇退することが決まり、「今年の夏は特別な大会になっぺよ」と気合十分な木内幸男監督率いる常総学院と持丸修一監督率いる専大松戸の対決である。


因縁の所以は、4年前の夏の甲子園に遡る。そのとき常総学院を率いていたのは持丸監督であった。常総学院では春夏3度の甲子園出場を果たした持丸監督だが、白星のないまま2007年夏の甲子園初戦敗退を機に退任となり、木内監督が復帰したのだ。名門校故の厳しい監督人事であった。


結果の方は、常総学院が10-1(7回コールド)と一方的な展開となった。試合後、木内監督は「持丸監督の事は全く意識しなかった」、持丸監督は「相手は“らしさ”があり、選手たちは勉強になったと思う」とコメントした。


持丸監督は、関東の公立校として初めて甲子園出場を成し遂げた“R”の独特のマークのユニフォームが特徴的な古豪・竜ヶ崎一高、楽天の井坂投手・美馬投手の出身校である藤代高校と、茨城の公立2校を甲子園に導いた手腕を買われ、2003年9月に全国制覇達成直後の常総学院・木内監督の後を引き継いだ。しかし、持丸常総が甲子園に出場するまでには3年を要した。


持丸監督初めての夏は、順当に決勝まで勝ち上がったが、決勝で下妻二に逆転負け。泣き崩れる主将のを抱き支える姿に、スタンドからは「持丸、辞めろ!」と冷酷な怒号が飛んだ。


2年目の夏も、準々決勝で古巣藤代に3対0からの逆転負けで、容赦なく非難は続いた。常総学院の監督は「勝って当たり前」の重い十字架を背負っていることをあらためて実感させられた。


3年目のチームも決して順調ではなかった。秋の県大会決勝は完封負け。春も準々決勝で敗れ、6月の土浦市内大会では土浦一に逆転負けを喫した。だが、この試合が転機となった。「技術では負けないんだから負けているとしたら気持ち精神的弱さが敗因だった。その日からいかに気持ちを強くするかが課題となった。選手には「最後の1球まで気を抜くな。1点を大切にしろ。一戦一戦を大切に戦え」と原点を伝えた。自らは「もし夏負けたら高校野球から身を引く」と覚悟を決めて夏に望んだ。県大会の初戦(2回戦)は笠間に5点を先行されたが、慌てずコールド勝ち。準々決勝でもつくば秀英に先制されたが、すぐに追い付き後半逆転。準決勝は控え選手が5打点の活躍。一戦ごとに気持ちが強くなっていることを感じ取った。そして、持丸常総は初の甲子園出場を果たした。持丸監督は優勝インタビューで優勝までの道のりを、「長かった。30年のよう。」と語った。さらに、「県立でも私立でも気持ちを一つにしないと勝てないことが分かった。こんなうれしい優勝はない。勝とうと思って勝てたんだから」と続けた。


常総学院の監督退任となった持丸監督は、その年の12月に千葉の専大松戸からの要請を受け監督に就任した。持丸監督は、昨年の夏の千葉県大会では専大松戸を33年ぶりの4強に導き、昨年秋も4強、今年の春は準優勝と強豪ひしめく千葉でも徐々に手腕を発揮し始めている。


個人的な話だが、持丸監督とは、2008年春大の千葉ブロック予選のとある球場のトイレで隣同士になった。「頑張って下さい。」「ありがとう。」と言う会話をした。わたしの初日記も、専大松戸に持丸監督が就任したという記述をした。個人的には、今年の夏の甲子園でもこの対戦が実現することを願っている。


ところで、春季関東大会には東京代表が参加するのに、秋季関東大会には参加しないのだろうか?

日本高校野球連盟と東京都高校野球連盟に確認しましょうか?





以上です。



















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