☆全国中等学校野球史(13)~東京~

東京都では早い時期から野球が行われていたが、その中心は第一高等学校(東京大学)や慶応義塾、青山英和学校(青山学院)などの大学であった。大学の附属中等学校でも相当早い時期から野球が行われていたと思われる。
明治43年の春から行われた都下中等学校優勝試合には、早稲田中、青山学院中等部、郁文館中、慶応普通部、独協中学、錦城中、立教中、麻布中が参加し、早稲田中が優勝した。
大正4年の春、第6回都下中等学校優勝試合には8校が参加し、早稲田実が荏原中を破り優勝していた。この年の夏に第1回全国中等野球大会が開催されることとなったが、告知が遅かったため、関東から参加校を集め関東予選を行い代表を決めるには日程的に間に合わず、都下中等学校優勝試合を関東予選とみなし、優勝した早稲田実が関東代表として全国大会に出場した。
余談であるが、昭和4年に東京中等学校野球連盟と東都中等学校野球連盟の2つのリーグが並立するという異常事態が発生した。参加校の多い東京は大正12年の第9回大会から単独で代表を送り出すことになった。それ以来、東京連盟が東京予選を主催し、新しい参加校を一切認めず、また、加盟校以外との練習試合も禁止するという閉鎖主義をとっていた。しかし、この頃から各校で野球部の創部が相次ぎ、予選に参加することのできない学校から不満がくすぶり、攻玉社中と赤坂中(日大三)が中心となり、東都連盟を創立した。
ちなみに、早稲田実が予選に1度だけ参加できなかった理由は、昭和4年に東京連盟に申請せずに秋田遠征を行い練習試合をした事で、東京連盟から予選参加を停止されたためである。これにより、早稲田実は東都連盟に加盟した。この年は、東京連盟で優勝した慶応商工が全国大会に出場したが、翌年の昭和5年は東京連盟優勝の慶応普通部と東都連盟優勝の早稲田実が決勝戦を行い、勝った慶応普通部が全国大会に出場した。
昭和6年には両連盟は合同することとなり、新たに東京府中等野球連盟が結成され、トーナメント形式で代表の座を争うようになった。


初代表校
早稲田実(大正4年夏)

初勝利校
早稲田実(大正4年夏)

最高成績
優勝

春夏通算成績
284勝241敗2分

最多勝利校
早稲田実 61勝





以上です。

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