☆第1回全国中等学校優勝野球大会優勝校~京都二中~
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鶴丸 深志’
2012年06月07日 19:15 visibility726
あれから幾十年が経ったのだろうか、修学旅行で初めて京都に行った。
京都に行った、京都に、京都二・・・。
京都は歴史を誇る街だが、進取の気風を併せ持ち、「京都が日本初」というものもいろいろあるそうだ。
いくつか挙げると、日本初の小学校(1869年/明治2年)、日本初の水力発電所(1891年/明治24年)、日本初のチンチン電車(1895年/明治28年)、日本初の映画上映(1897年/明治30年)、日本初の中央卸売市場(1927年/昭和2年)などがある。
AKB48総選挙は第4回を数えたが、夏の甲子園は今年で第94回をも数える。その第1回大会優勝の栄光を勝ち取ったのも、京都の学校だった。その名を京都二中といった。写真の校舎はその京都二中の名残だという。
だが、ここからがちょっとややこしい。厳密にいえば、京都二中は戦後の学制改革の中で消えてしまい、永らくの間「幻の優勝校」だった。閉校後の校舎の主は新制の洛南中学校(=旧制の「中学校」とは別もの)となり幾十年が過ぎた。
その後、京都市内に府立高校を新設するにあたって、再び旧制京都二中だったこの校地にスポットがあたった。さっきは中学校といったが、どうやらここに定時制課程の高校は残っていたようなのだ。何とか融通を付けて、昭和59年に鳥羽高校は開校した。
頭が固いと言われている我々高野連ではあるが、大会の伝統に箔をつけるため、同じ校地に建っている府立鳥羽高校を「旧制京都二中の継承校」と認めることにした。
http://labola.jp/diary/6836393
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以上、こちらの名作のほぼパクリ
鳥羽高校の硬式野球部は1901年(明治34年)に創部され、甲子園には春4回、夏5回出場し、通算成績は11勝7敗、夏優勝1回、夏準優勝1回を誇る。
今年の春のセンバツ大会に出場したのも記憶に新しい。
夏の予選においては、第1回大会予選の1915年(大正4年)に京都師範、京都一商、同志社中、京都美工、京都五中、京都一中、立命館中とともに参加し、閉校となる1948(昭和23年)まで連続して参加していた。
そして、1984(昭和59年)に鳥羽高校として生まれ変わって以降も連続参加しているのも特筆すべき点である。
幾十年の空白期間のあった鳥羽高校であるが、夏の予選で積み上げた勝ち星は、龍谷大平安の340勝、京都学園の174勝、東山の162勝、西京の151勝、京都外大西の135勝、山城の119勝、大谷と花園の115勝、洛北の113勝に次ぐ、108勝と実に立派なものだ。
京都二中の初優勝から間もなく1世紀が経とうとしている。今度は鳥羽高校として、2度目の深紅の大旗を手にする日は来るのだろうか?
http://labola.jp/diary/13892833
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こちらの欠作もご参考に
以上です。
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