☆さんさ踊りPR企画~岩手の予選準皆勤校・盛岡ー高~
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鶴丸 深志’
2012年06月14日 23:10 visibility885
本州で一番面積の広い県といえば、岩手県です。
岩手県といえば、菊池投手を擁して春の選抜大会で準優勝した花巻東高校の活躍に心が踊った。
その岩手県だが、東北地区では秋田県と並び中等学校野球の歴史は古く、1886年(明治19年)に盛岡中学(現・盛岡一高)で野球が行なわれた記録が残っている。
1899年(明治32年)には、盛岡中学で正式に野球部が創部され、同年に仙台一中(現・仙台一高)との間で対抗戦が行なわれたようだ。
1901年(明治34年)には、一関中(現・一関一高)、福岡中(現・福岡高校)でも野球部が創部され、以後岩手県内はもちろん、東北の各学校の間で対抗戦が盛んに行なわれるようになった。
1911年(明治44年)には、仙台の旧制第二高等学校の主催で東北地区の中等学校連合野球大会が開催された。この大会に岩手からは盛岡中学と一関中学が参加、優勝は盛岡中学であった。翌年の第2回大会でも盛岡中が圧勝で優勝した。当時の盛岡中学は圧倒的に強く、早稲田大学の二軍と対戦し、延長15回0-1で惜敗という記録も残っており、全国的にも知られた強豪であった。
盛岡一高は、1880年(明治13年)に創立された伝統校で、東北地区有数の進学校であり、野球部からも東大合格者を輩出している。
野球部は前述したように、1899年(明治32年)に創部された岩手県内最古の歴史を誇り、甲子園には夏のみ9回出場し、甲子園通算成績は7勝9敗、最高成績はベスト4進出である。
岩手県内において春夏通じて出場9回は福岡高校の10回に次ぎ、甲子園通算勝利数7勝は花巻東の9勝に次ぐ成績である。
夏の予選には、1916年(大正5年)の第2回大会予選に一関中とともに初参加し、夏の予選で積み上げた勝利数は230勝と岩手県内トップの数である。
また、盛岡一高は一関一高とともに、第2回大会予選から現在まで連続して予選に参加している予選準皆勤校である。
ところで、歴史の古い盛岡一高はどうして第1回大会予選に参加しなかったのだろうか?
1915年(大正4年)第1回夏の大会が開催されることが決まり、全国10地区から代表校が参加することとなった。 その告知は、同年7月2日の大阪朝日新聞紙上の1面社告であった。その文面は、「八月中旬を卜し全國各地方の中等學校中より其代表野球團、即ち各地方を代表せりと認むべき野球大會に於ける最優勝校を大阪に聘し豊中グラウンドに於て全國中等學校野球大會を行ひ以て其選手權を争はしめんとす」であった。
東北地区では、朝日新聞社から秋田中学(現・秋田高校)のみに全国大会開催の連絡が入ったようだ。その際、東北予選を開催しなさいという要請がなかったため、秋田中学は招待されたと思い込んでいた。ところが、暫くして朝日新聞社から対戦成績を送るよう指示があり、慌てた秋田中学は県内の横手中(現・横手高校)、秋田農(現・大曲農業)と試合を組んで優勝を果たし、その結果を朝日新聞社に送り東北代表として全国大会に出場したようだ。
このため、当時東北球界を二分していた岩手県の学校は予選に参加することができず、のちのちまで問題を残すこととなったようだ。
もし、東北各県に第1回夏の大会東北予選開催の連絡が入っていたならば、岩手県の盛岡一高、一関一高、宮城県の仙台二高も予選に参加できた可能性が高く、夏の予選皆勤校は18校になっていたかもしれない…。
以上です。
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