☆消えた校名~4年間の夏・法政三高~

1.東京都 2.神奈川県 3.大阪府 4.愛知県 5.埼玉県 6.千葉県 7.兵庫県 8.北海道 9.福岡県 10.静岡県に次いで、茨城県は人口2,946,020人を有している。
茨城県の人口は、広島県の2,849,619人、京都府の2,627,571人よりも多いと聞くと、驚く方も多いでしょう。
夏の甲子園予選参加校も100校を超えていると聞くと、さらに驚く方も多いでしょう。



茨城県といえば、同一都道府県で同一名称の一~三(以上)の番号が付く高校が最も多いといえよう。


同一都道府県で同一名称の一~三(以上)の番号が付く高校を挙げると以下の様になろうかと思います。


(岩手県)
岩手県立盛岡第一高等学校
岩手県立盛岡第二高等学校
岩手県立盛岡第三高等学校
岩手県立盛岡第四高等学校


(宮城県)
宮城県仙台第一高等学校
宮城県仙台第二高等学校
宮城県仙台第三高等学校


(茨城県)
茨城県立水戸第一高等学校
茨城県立水戸第二高等学校
茨城県立水戸第三高等学校
茨城県立土浦第一高等学校
茨城県立土浦第二高等学校
茨城県立土浦第三高等学校
茨城県立古河第一高等学校
茨城県立古河第二高等学校
茨城県立古河第三高等学校


(東京都)
東京都立第一商業高等学校
東京都立第二商業高等学校
東京都立第三商業高等学校
東京都立第四商業高等学校
東京都立第五商業高等学校
日本大学第一高等学校
日本大学第二高等学校
日本大学第三高等学校



茨城県には同一名称の一~二の付く高校も山ほどあり、甲子園では取手二高、取手一高、竜ヶ崎一高、鉾田一高、水戸一高、土浦一高、日立一高、下館一高、下妻二高などが活躍している。



その茨城県南部に位置し人口78,000人を有する石岡市には、かつて法政三高が存在していた。現在は、法政大学石岡総合体育施設となっている。


 

 


偲学の碑には、『この地は、昭和十五年財団法人大日本中央滑空訓練所が設立され、大空を夢み憧れる若人育成の大地であった。昭和二十年八月終戦と共に筑波学園工業専門学校と同筑波中学校が開校され、後に昭和二十三年法政大学付属第三中学校、高等学校となった。名声高き付属校として数多くの若人を社会に送り出したが昭和三十年三月廃校に至る。』と記されている。


この法政三高は、夏の甲子園大会予選に4年間だけ参加している。


初参加は、1949年(昭和24年)の第31回夏の大会予選であった。しかし、初戦で那珂湊に 3 - 7 で敗れた。
翌年も同じ那珂湊一に 0 - 3 で敗退、その後も、下館一に 3 - 9、霞ヶ浦 に 4 - 7 といずれも初戦敗退であった。


法政三高硬式高野球部の4年間の夏は、短い夏であった。


 


 


以上です。

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