☆8月11日 きょうの日本の道100選思索

 

 

 

 


哲学の道は、哲学者西田幾多郎が好んで散策し思索にふけったことから、その名がついたようです。

哲学の道に彼の残した歌の碑文がありました。
『人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり』

一見すると、「人は人、自分は自分、他人のことは気にせず、自分の信じる道を進むべきだ」という意味にとれますが、この歌をよく見ると、「吾はわれ也」の “われ” がひらがな表記になっています。このひらがな表記によって、漢字で “吾” と表記するよりも柔らかな印象を受けます。
個人的な解釈ですが、自分の信じる道を強固に、ただひたすらに突き進むだけではなく、時には迷うことがあっても良い、それもまた自分の道なのだという意味を “われ” という表記に含ませているのではないかと思いました。

近道は遠回り。急ぐほどに足をとられる。始まりと終わりを直線で結べない道がこの世にはあります。
迷った道が、私の道です。






以上です。

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