☆甲子園準優勝校ぶらり散策日記〜小さな大投手編〜

 

勿来の関を越え、福島県の浜通り南部に位置し、県最大の面積と人口を誇り、東北地方でも仙台市に次ぐ人口を誇る、いわき市にある磐城高校に向かった。

春の九州大会を制した興南高校のある沖縄は、間もなく梅雨入りだが、ここ南東北にはまだ桜が咲いており、ほんの一瞬、みちのくの短い春を感ることができた。

 

 

 

磐城高校は、福島県屈指の進学校で、また、スポーツも盛んであり、ラクビー部が15回、サッカー部が5回全国大会に出場している。
野球部においても、春2回、夏7回甲子園に出場しており、甲子園通算成績は7勝9敗である。
最高成績は1971年(昭和46年)第53回夏の選手権大会の準優勝である。

 

この時を振り返ると、針の穴を通す抜群の制球力と切れ味鋭いシンカーを武器にした、身長165センチの田村隆寿投手を擁し、日大一高に1対0、静岡学園に3対0、郡山高校に4対0と強豪校を相手に3試合連続の完封勝ちで、あれよあれよという間に決勝に進出した。決勝進出の立役者となった田村投手は、いつの間にか新聞やテレビで「小さな大投手」と呼ばれるようになっていた。

 

迎えた決勝戦は、桐蔭学園との対戦となった。
お互いに一歩も譲らずに0対0で迎えた7回裏、急に降り始めた夕立の影響で、決め球のシンカー甘くなった。そこを桐蔭打線が見逃さず痛打し、結局試合は0対1のまま終了した。
磐城高校は甲子園で初めて許した失点により、惜しくも優勝を逃した。

「真夏の炎天下が雨模様に変わったとき、磐城の長い夏が終わった」

 

 

 

 

 

以上です。

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