☆第一回全国中等学校優勝野球大会回想記~高校野球発祥の地~

今年で96回を数える夏の高校野球もいよいよ大詰め。
もし、大阪桐蔭が優勝すれば、この夏は地方大会で8連勝+甲子園で6連勝の14連勝での優勝となる。
これは、地方大会が現在のようなトーナメント形式となってから初の偉業となり、本当の意味で全国で一番長かった夏となります。
連勝マニアの方はたまらない事でしょう。
一方、参加校数の格差問題や休養日問題が再燃するやも知れません。


さて、現在は高校野球といえば甲子園です。
しかし、夏の高校野球大会の前身である全国中等学校優勝野球大会が初めて開催されたのは甲子園ではなく(甲子園球場は誕生していませんでした)、大阪の豊中市にあった豊中グラウンドでした。
1915年(大正4年)、記念すべき第一回大会の予選には全国から73校が参加し、10地区の代表として秋田中、早稲田実業、山田中、京都二中、神戸二中、和歌山中、鳥取中、広島中、高松中、久留米商が晴れの舞台に立った。
決勝戦は投手戦となり、京都二中が延長13回の末、2 対 1 で秋田中をサヨナラで破り優勝を飾った。
この歴史的な舞台となった豊中グランドこそが、高校野球発祥の地である。
全国中等学校優勝野球大会研究家として多額の財を築き上げたアタシとしては、この地を訪れないわけにはいかない。



豊中グランドは、1913年(大正2年)に現在の阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が建設。
当時の広さは2万㎡で陸上競技場としても使用され、現在の全国高等学校サッカー選手権大会及び全国高等学校ラグビーフットボール大会の第一回大会の会場でもあった。
高校野球、高校サッカー、高校ラグビーの始まりの地が同じというのも「いとおかし」。
その後、阪急が宝塚市に宝塚球場という新しい多目的スタジアムの建設を実施したことから、豊中グランドは1922年(大正11年)に閉鎖された。

この豊中グランドで京都二中と秋田中の決勝戦を観戦した先人たちは、大旗の白河越えがこれほどまでに長く困難な事とは誰ひとりとして思わなかったことでしょう。


 







以上です。

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