☆センバツ出場校放浪記~第1回全国中等學校優勝野球大会予選参加校 慶應義塾高校~
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鶴丸 深志’
2018年03月25日 09:16 visibility1061
第90回春のセンバツ大会に出場する慶應義塾高校は、1916年(大正5年)第2回夏の全国大会で優勝を成し遂げている。その時のスターティングメンバーは以下の通りである。
1.(左) 佐藤
2.(一) ジョン
3.(投) 山口
4.(三) 塩川
5.(右) 河野
6.(遊) 平川
7.(二) 足立
8.(捕) 出口
9.(中) 田島
改めてメンバー表をよく見ると、一塁ジョンの名前がある。余談だが、アタシの愛犬の名前もジョンである。
近年は外国籍の選手が甲子園の土を踏むことが多くなってきたが、その第1号は今から100有余年前の全国大会に出場した、アメリカ国籍のジョン・ダン選手であった。
日本高野連のルールブックによると、高校野球の選手登録に国籍による制限はなく、卒業を目的として在校している生徒は大会への参加が認められている。国籍による制限は「教育の機会均等に反する」というのが、高野連の見解である。現実的にはあり得ないだろうが、ベンチ入りする選手全員が外国人でも問題ない訳だ。
この年、東京代表で出場した慶応普通部のジョン・ダン選手は、外国人という物珍しさからか、観客の注目を一身に浴びていたという。ダン選手自身は大会4試合で17打数3安打と活躍したとは言い難いが、優勝メンバーとしての栄誉を手にすることができた。
慶應義塾の歴史は、1852年(安政5年)に福澤諭吉が開いた蘭学塾に始まり、1868年(慶應4年)に当時の元号にちなんで慶應義塾と名づけられた。1898(明治31年)には、幼稚舎・普通部・大学部からなる慶應義塾の一貫教育が完成。その後、戦後の学制改革に伴い、慶應義塾の新制高校を1948年(昭和23年)に開設、当初、慶應義塾第一高等学校、第二高等学校の名称のもと、仮校舎を東京都港区麻布新堀町に置くが、翌49年には両校を統合して慶應義塾高等学校と改称し、同時に校舎を三田山上に移転し、同年秋、米軍に接収されていた旧大学予科校舎が返還されるにともない、横浜市日吉に移転した。
野球部は、1888年(明治21年)に結成された三田ベースボール倶楽部を起源とする歴史と伝統を誇る。東京、神奈川と違う県の代表として甲子園出場歴を持つ全国でも珍しい高校である。
夏の全国大会予選には、第1回大会関東予選(第1回全国中等學校優勝野球大会開催の告知が大会の直前過ぎたため、関東地区の予選消化が間に合わず、春に開催された東京府下中等野球優勝試合を関東予選と位置づけた)に、早稲田実、荏原中(日体大荏原)、日本中(日本学園)、早稲田中(早稲田)、麻布中(麻布)、立教中(立教新座)、成城中(成城) と共に参加した。
結果は、初戦で優勝した早稲田実に 4 - 5 で惜しくも敗退した。この試合は関東予選(東京府下中等野球優勝試合)の1回戦第一試合であった。したがって、関東地区の夏の予選は早慶戦で幕が開けたという事になる。
今年の夏の全国大会は100回目の記念大会となるが、第1回大会予選参加校の活躍を期待したい。
以上です。
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- 事務局に通報しました。
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