☆21世紀での甲子園初出場ならず ~群馬県立太田高校~

 

 

足利尊氏と新田義貞は鎌倉幕府の滅亡に大いに貢献した。
足利氏の先祖は清和源氏の源義家の孫・義康で、義康は下野国足利荘(栃木県足利市)を領し、やがて足利を名字にした。足利荘は、現在の栃木県足利市一帯に広がる広大な荘園であった。
新田氏の先祖は清和源氏の源義家の孫・義重で、義重は上野国新田荘(群馬県太田市など)を領し、やがて新田を名字にした。新田荘は、現在の群馬県太田市およびその周辺地域に広がる広大な荘園であった。

つまり、足利氏と新田氏の根は同じということになる。

 

1984年(昭和59年)、群馬県太田市の県立太田高校校長より、隣接する栃木県足利市の県立足利高校校長のところに、前橋高校対高崎高校、沼田高校対渋川高校ような定期対抗戦を行いたいという旨の申し入れがあった。進学校として似たような性格を持つ両校がこのような行事を行うことは有意義であることから、1985(昭和60年)に第1回対抗戦が開催される運びとなった。

両校はともに「質実剛健、文武両道」を校風として掲げており、学習面や部活動面などでも常に良きライバル関係にある。本戦の年(2年に1回)は一回交代で相手の高校を訪れ、足利高校は足利氏の旗(足利二つ引両)を、太田高校は新田氏の旗(新田一つ引両、大中黒)を掲げ、さまざまな種目で競い合う。それ以外の年は、部活動同士の部戦が行われる。

この定期対抗戦を申し入れた太田高校が今春のセンバツ大会の21世紀枠関東・東京地区推薦校になっており、個人的にはかなり期待していたが、残念ながら甲子園初出場の吉報は届かなかった。

 

 

 

群馬県立太田高校は群馬県南部の太田市に所在し、1897年(明治30年)に群馬県尋常中学校新田分校として創立された歴史を有し、1900年(明治33年)に群馬県太田中学校として独立、群馬県内有数の進学校である。

野球部は1900年(明治33年)に創部され、群馬県内では前橋高校、高崎高校に次ぐ伝統を有する。
夏の全国大会予選には、群馬県勢としては前橋高校に次いで、1921年(大正10年)の第7回大会予選(関東大会)に初参加した。結果は、栃木県工(足利工)に 3 - 5 で敗退となった。
夏の予選初勝利は、1922年(大正11年)の第8回大会予選(関東大会)で、川越中(県川越)に 16 - 2 で勝利した。
夏の予選通算成績は73勝91敗2分である。

 

 

伝統ある太田高校の悲願達成に期待したい。

 

 

 

 

 

以上です。

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