古田敦也オッケーーイ!
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Miya
2007年12月13日 07:56 visibility1730
古田敦也。
捕手として守備、リード、打撃、盗塁阻止の各方面で抜群の能力を誇って一世を風靡した男。
また、労組選手会会長としてもリーダーシップを発揮し、プロ野球球団減少の危機を救った。
29年ぶりとなる選手兼監督として、ファンの絶大なる期待と声援を集めながら2006年、2007年、ヤクルトの指揮を執る。
しかし、その結果は3位、6位と惨憺たるものであった。
いったい、なぜだ・・・?
名選手が必ずしも名監督になるとは限らない、
よくそう言われる。
ようは、プレーヤーとしての能力と、マネージメント能力は別だと。
しかし、選手会会長として活躍した彼を見れば、統率力、人望などは誰が見ても秀でているように思える。
では、何が問題だったのか。
どうも、ヤクルトの中で乖離現象が起きていたように思う。
宮本慎也。
ヤクルトの遊撃手として堅実な守備力を誇る名手。
最近では、アテネ五輪、WBC、北京五輪予選と国際舞台でチームを引っ張る熱いリーダーシップが注目された。
五輪予選を勝ち抜いた時、星野監督に続いて胴上げされたのがこの宮本である。
彼が何者であるかを示す象徴的なシーンだった。
古田監督、そして宮本を擁するヤクルトの低迷。本来であれば相乗効果で大きな結果を上げていいはず。
それが、どうしてこうなるのか?
両雄並び立たずというが、
ヤクルトの中で指揮官・古田、リーダー・宮本のソリがあわなかったようだ。
昨年の契約更改で宮本は自ら1000万円の減棒を申し入れ、その分を2軍用の戸田球場の改修費に充てることなった。
外野フェンスの鉄骨がむき出しなので、2軍の選手が思いきりプレーできるよう改修して欲しいという宮本のチームを思う気持ちがこうした申し出をさせた。
しかし、これはたんなる美談ではない。
宮本が交渉の席でそんなことを言う前に、一言も球団にその話をしなかったわけはないだろう。
つまり、溜まりかねて・・・というニュアンスがある。
あるいは現場監督者である古田に何の相談もなかったのか。
たしかに戸田球場の管理は監督の仕事ではない。
だから、宮本はそのことを一言も古田に言わなかった・・・のか?
だとしたら、選手会長として奮闘し、世間に定着したイメージである「みんなのために頑張る古田」はヤクルトの中に存在しなかった証明だとも言える。
そうしたギャップに人は敏感だ。
人望を失うスピードとしては加速度がつくだろう。
そもそも、古田の人間性が自分のことしか考えないエゴイストとか、冷徹であるのかどうか実際のことは知らない。
しかし、このギャップが監督という管理者としての立場が生み出す必然的なものであったとしたら・・・。
宮本もいつかはヤクルトの監督になる。
その時にどうなるのか。
何が正しかったのか、その時に初めてわかることになるだろう。
自分が監督になってみて初めて、「うわ、選手に対する接し方を変えないと駄目じゃん!!!」と思い知るのかどうか。(笑
いくら統率力のある、熱いチームリーダーでも指揮官として成功すると限らない。
・・・これは絶対にそうだと思う。
石毛宏典を見れば一目瞭然だ。(爆
古田は北京五輪予選のテレビ解説で見せたように、
「オッケーーーーーイ!!!」
「ワーイ」
というノリで監督やれば良かったのに・・・。
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