昭和の遊び〜仲本の少年時代

  • 仲本
    2012年06月18日 22:16 visibility187


ちょっと趣向を変えて、思い出日記です。



昭和50年代、街のおもちゃ屋にはまだゲームウオッチくらいしか電子ゲームはなく、子供たちはそれなりに工夫して外遊びをしていました。



飽きずに毎日繰り返していたのが「団地野球」というものです。当時わたしは大阪市内の5階建ての市営住宅に住んでいて、団地内の駐車場が遊び場になっていました。



まず用意するのはプラスチックバット。おもちゃ屋で売っていた「12球団のチームカラー」のバットです(今どきあるのかな?)。これは軽くて強度的にもイマイチなので、ビニールテープで全面ぐるぐる巻きにします。

次に小学校の前にある駄菓子屋で庭球を買ってきます。

そして対戦相手ですが、基本的には1対1でやっていました(!)。



基本ルールは下記の通り。

・1アウトでチェンジ

・ストライクゾーンは打者後方の壁に枠を書くものとする。

・ストライク、ファウルのみカウントし、ボールはカウントしない。

・投手は5階建ての団地を背にして投げる。

・打者は打つのみで走らない。打球が投手を抜くか団地の1階にライナーで当てればヒット。以下、2階=二塁打、3階=三塁打、4階5階=ホームランとみなし、走者はそれぞれ塁打数に合わせて進塁する。

・打者アウトになるのは三振、ゴロキャッチ、フライキャッチ。



なんといっても守備が一人しかいないのでアウト一つとるのが一苦労。そこで、



・打球がライナーで団地の壁に当たった場合、クッションボールをダイレクトで捕ればアウト

・駐車中の車に打球が当たればアウト



などといろいろと特別ルールが付け加えられました。



・対決は日が暮れるか疲れるまで



もう正直得点とかどうでもよくなってきてひたすら投げる打つを繰り返します。



運動神経は人並みかやや下だと思いますが、なんだかんだいってボール投げと素振りがそれなりにさまになっているのは、これを小学生時代に延々とやっていたおかげだと思っています。打球処理と送球と走塁が拙いのもきっとそのせい[e330]



あと、フィールドの制約上、遠くに飛ばすかわりに高く打ち上げるほど長打になります。低い球を思い切り打ち上げる打法が効果的なのですが、これがかの「通天閣打法」を生んだとか生まなかったとか。

(わかりにくい図をつけてみました)




































































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