放浪記~宇治山田・沢村栄治生家跡

  • 仲本
    2014年01月13日 14:35 visibility2083

伊勢日記の続き。

なにせ下調べもなく思いつきで行ってみたので、まずは観光案内所に行って地図をもらってくる。



伊勢市駅前からはまっすぐ参道が伸び、外宮へ行くには迷いようがないのだが。



なんぞ近くにないかいな、と地図に目を落とすと、端っこに「沢村栄治生家跡」と書いてある。一駅先の近鉄・宇治山田駅のそばらしい。



むむ…、



これは歩いて行けるよな?

(゜∀゜)*キラーン



というわけで、お参りは後にして、寄り道することにした。



一駅先とはいえ、伊勢市駅から宇治山田駅までは歩いて10分程度。駅前に古くからありそうな小さな商店街があり、アーケードには「沢村栄治生誕の街」の看板がかかっている。









日曜日の昼間ということもあったのか、閉めている店が多かった。商店街の細い路地を抜けた先、今は駐車場になっている一角に、石碑が立っている。



先程の駅前商店街入口から道案内はいくつかあるので、迷うことはないだろう。









少々行儀が悪いが記念碑の裏に回ってみる。碑は平成二十三年に立ったというから比較的最近のことだ。



傍らには有名な写真と沢村投手の簡単な紹介文がついている。









明倫小学校、これは今でも外宮のすぐそばにあるのだが、ここで野球を始めた沢村投手は小学生チームでも全国大会に駒を進めた。長じてからの活躍は今さら語るまでもあるまい。



神様のお膝もと・宇治山田の地で生まれ育ち、こちらも神話ゆかりの草薙の地で並み居る強打者を切ってとった。どことなく神がかったような彼の生涯。しかし時代は青年たちに日本の“軍神“となることを強要する。



3度目の召集を受けた沢村は1944年12月、輸送船もろとも台湾沖に沈む。もはや日本軍は戦地に兵力を送り込むことさえできなくなっていた。



終戦に至るには、そこからさらに8ヶ月待たなければならなかった。


















































































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