分校だからできるんだ~春季高校和歌山大会

  • 仲本
    2016年05月08日 23:44 visibility2808

春の高校野球和歌山大会はベスト8が出そろって、舞台を紀三井寺球場に移した。

第三試合は選抜に出場した市和歌山と、かつて「分校からの甲子園」で話題になった日高高校中津分校の対戦となった。1番から4番まで左打者を並べる日高中津に対して、市和歌山は二枚看板のうち背番号10の左腕・栗栖投手を先発させる。市和歌山の先発メンバーには二ケタの番号の選手が4人いた。この試合に勝てば夏のシード権を得られるが、控えの選手も試しながら、という計算もあったのかもしれない。

しかし、日高中津のエース右腕・原投手も適度に荒れるといおうか、両チーム無得点のまま試合は後半に入った。市和歌山は7回に待望の先制点を挙げるとその裏からエース・赤羽投手にスイッチ。7回・8回を三者凡退に退ける。

9回表、市和歌山は先頭の4番打者が左中間フェンス直撃の大三塁打を放つが、原投手は次打者をまっすぐで空振り三振に切って取る。続く打者の2球目にスクイズ。しかしこれが捕手前の小フライで併殺となった。

9回裏、日高中津は先頭打者がヒットで出たが2塁へ送れず二死1塁。しかし最後の打者になるはずの6番打者の放った打球はライナーで左中間を破り、一塁走者が一気に生還した。初球簡単にストライクをとりに行ってしまったか、赤羽投手にとっては痛恨の一球だった。

四球を挟んで1、2塁となった後、流し打った打球はライト前へ。ライトはもちろん前進していたが二塁走者は構わず本塁へ突っ込む。返球がやや三塁方向にそれ、捕手がはじく間にサヨナラのホームに滑り込んだ。これが夏の大会だったらスタンドは悲鳴と歓声が交錯してえらいことになっていたところだ。











(日高中津は8回まで散発4安打。市和歌山の継投の前に零封か、と思われたが)












(試合終了後。日高中津は「若鮎打線」だそうな)

実はその前の第二試合に、もう一つ分校チームが登場していた。南部高校龍神分校。紀央館高校との対戦だった。紀央館といってもピンと来ないと思うが、昔の「御坊商工」だといったらオールドファンにはわかるかもしれない。確か甲子園で槙原のいた大府高校と戦ったことがあったように思うが、何しろ30年以上前の話なのでちょっと自信がない。

球場に到着したときにはまだ序盤だったが、すでに4-2と紀央館がリードしていた。その後も着実に得点を重ねた紀央館が結局7回コールドで勝った。

龍_神 200 000 0/2
紀央館 310 041 X/9











(南部龍神。横断幕を見るとこちらは「龍の子球児」なのだとか。)

和歌山では少子化・過疎化の影響か、高校の再編がかなり進んでいて、校名変更や統合となった学校は紀央館のほかにもいくつかある。そんな中、地域の分校を残すべく硬式の野球部を立ち上げたのが日高中津(1984年)であり、南部龍神(2003年)だ。日高中津は日高川を山のほうにさかのぼったところにあるが、南部龍神はそれをさらにさかのぼってダム湖を一つ越えた上流にある(わざわざ川をさかのぼるからそうなるのであって、本校のある南部の町からならたかだかバスで1時間くらいだそうだ)。

ここだけ子供がたくさんいるはずもなく、つまりは遠方に実家がある生徒のための寮がある。幸いグラウンドにするぐらいの土地は余っている。その結果、生徒の大半は野球部で…、と、「小さな分校の子供たちが甲子園へ」という素朴なイメージとはなにやら様子が違うのだが、21世紀にもなって高校野球にそんなイメージを持つおめでたい人ももはやいるまい(うーん)。なんにせよ、興味深いモデルではある。

























































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