あなたの知らない名勝負?~山口・徳山高校

  • 仲本
    2018年04月30日 16:21 visibility4555

(待てよ、この通りを渡ってよかったか?)

 

今から行って迷わずたどり着けば、次の列車までに駅まで戻ってこられるはずだが、それを逃すとまた30分以上のロスになる。左手に見えてきた建物が図書館らしい。JRの徳山駅から北に延びる大通りをまっすぐ、確か地図では途中にそういうバス停があったような気がする。このまま行って大丈夫。と、ほどなくそれらしい建物が見えてきた。

 

 

 

山口県立徳山高校。今から31年前、1987年の夏の甲子園に一度だけ出場している。前身の一つ、徳山中学創立から数えれば108年目、野球部創部も明治年間にさかのぼるという歴史のある学校がつかんだ悲願の甲子園初出場だった。

 

改めて当時の新聞を調べてみる。山口大会では準々決勝で強豪・宇部商に3-2と競り勝った。準決勝の岩徳戦では9回4点差を追いついて延長10回サヨナラ。決勝では序盤に連打で大量6点のビッグイニングを作ると、古豪・下関商の猛追を振り切って8-7で勝った。今でもそうだと思うが初出場のチームは地方大会で「次は負ける」「また勝った!」と周りに言われながらも、ちょっとした奇跡を起こして甲子園までやってくるのである。投手はエース・温品(ぬくしな)と主軸を打つ靍本(つるもと)の二人の選手のやりくりで乗り切った。

 

甲子園では大会第2日の第一試合、東海大山形高校との対戦となった。当時中学生だったわたしがつけていた簡単なメモが手元に残っている。どちらもあまり強そうではないけれど、甲子園に何度かやってきている分山形のほうが強いかな、徳山の投手は珍しい名前だなあ、などと思いながらのんきにテレビ中継を見ていた。試合は中盤まで0-0が続いた。打力では東海大山形が上と見られていたが、温品投手はいい投手だった。好投に報いたい徳山は7回、ソロホームランで待望の先制点をあげた。

 

9回は走者を三塁まで進められたがツーアウトまでこぎつけた。「最後の」打者の打球はピッチャーゴロ。マウンド上で身をひるがえしてボールをつかむとゆっくりと一塁へ送球。なんということのないプレーだった。しかし、この送球が一塁手の頭上高くそれて三塁走者が生還する。最近めっきり聞かなくなったが「勝負は下駄をはくまでわからない」、こんなことがあるのかとテレビの前でひっくり返った。エラーで生きた打者走者は二塁まで進塁、次の打者のヒットで逆転のホームを踏んだ。

 

9回裏の徳山も一死3塁のチャンスを作ったが、同点のホームを狙った走者が本塁手前でタッチアウトになって試合終了。それ以来、徳山という地名を聞くとあの試合を思い出す。それどころか何十年も後になってわざわざやってくるとは、まったくマニアというのは業が深いものだ。

 

(今でもかなりの進学校らしい)

 

(新幹線徳山駅ホーム。市町村合併で徳山市は「周南市」に名を変えている。「人がネコになれるまち・しゅうニャン市」については、あえてツッコむまい)

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