ファンタジスタ幻想曲� −ロベルトバッジオ編−

  • 2007年05月29日 21:39 visibility2555


ロベルトバッジオは私が初めて好きになったサッカー選手だ。
90年イタリアワールドカップのチェコスロバキア戦。ハーフウェイライン左サイドでワンツーパスを交換し独特の間合いでドリブルを開始した彼は、華奢な身体に颯爽とポニーテールをなびかせて軽やかなステップでシュートに持ち込み、ニアサイドへゴールを突き刺してしまった。
なんて格好いいんだろう!そのプレースタイルはまさに「エレガント」だった。他に言葉が見つからない。元祖ファンタジスタとも言うべき選手だ。
それからというもの、当時限られた情報源の中で、雑誌やビデオでロベルトバッジオの数奇なサッカー人生を追体験し、ますます彼に傾倒していく自分がいた。ユベントスへの移籍、バロンドールの獲得、94年アメリカワールドカップの活躍と悲劇、ファンタジスタ不要論と監督との確執、繰り返される移籍、98年フランスワールドカップでの代表復活、そして引退。
特に94年のアメリカ大会は私に言わせれば「バッジオのための大会」だった。
決勝戦でのPK失敗。膝を抱えて肩を落とすバッジオに主将のバレージが背中に手を掛けて慰めるシーンには、涙が止まらなかった。


                                   (曲:Yiruma-kiss「The rain」

私は、26歳まである最難関と言われる国家試験に挑戦していた。必死だった。青春の一番良い時間を暗い淡々とした勉強生活に費やした。しかし、自分の実力不足で、最終的に合格までには届かなかった。
そのことについて、よく人に、「おまえは自分の実力が分かってない」とか「自己客観視能力が足りない」と笑われる。身の程知らずな馬鹿だ、と。
中島みゆきの歌ではないけれど、闘わない奴らが闘う私の生き方を笑う。
でも、私はそんな時、心の中で、94年W杯決勝でPKを失敗した後のバッジオのこの言葉をつぶやくのだ。

「PKを失敗できるのは、PKを蹴る勇気を持つものだけだ」

ロベルトバッジオは単なる愛するサッカー選手というだけでなく、私の心の支えでもあるのだ。
















chat コメント 

コメントをもっと見る

通報するとLaBOLA事務局に報告されます。
全ての通報に対応できるとは限りませんので、予めご了承ください。

  • 事務局に通報しました。