ファンタジスタ幻想曲� −ポール・ガスコイン編−

  • 2007年06月10日 01:36 visibility797


90年W杯準決勝、イングランド対西ドイツ。あの試合、ポール・ガスコインは確かに二度泣いた。
一度は微妙なタックルに行ってカードをもらったとき。累積警告で、勝っても決勝に出場できなくなったからだ。そして二度目は1−1のままPK戦に突入し敗れた後。やんちゃなガキ大将がそのまま大人になってしまったようなイカツイ風貌の男が人目を憚らず泣いていた。彼は、無類の酒好きで有名だったが、それ以上に誰よりもフットボールを愛し、彼のフットボールに対しての真剣さが私には伝わってきた。
翌年のFAカップでも“スナイパー”ゲリーリネカーとのゴールデンコンビで、準決勝アーセナル戦の弾丸フリーキックをはじめとする獅子奮迅の活躍を見せ、ファーガソンの誘いを断って当時最高額の移籍金で加入したトットナムホットスパーを優勝させてしまう。
今でこそ私もアーセナルファンを自認しているが、当時は圧倒的なスパーズファンだった。それは何より、ポール・ガスコインという選手の特異なパーソナリティに魅了されたからに他ならない。

                       曲:Morrissey「This charming man」

しかし、その栄光は彼のフットボール人生が狂いだす始まりでもあった。
ホテルでの友人を集めての馬鹿騒ぎにパブでの暴行事件、親友の死、サッカー選手の妻になりたいだけの女との結婚とDV、離婚、慰謝料、養育費、そしてアルコール依存症になり、ついにはドラッグにも手を出す。
ある日彼は、死んだ親友と離婚した妻との間にできた自分の子供のことを思いながら、駅のホームでまた泣いた。次の列車が来たら飛び込もうと思ったが、そのとき時間はすでに終電を過ぎていた。

そんな彼の唯一の希望はフットボールだった。
「ぼくのフットボールキャリアについては何一つ後悔することがない。すばらしかったと思う。これくらいのことはできたらな、って思ったよりはるかに、すばらしかった。」


自分が最も情熱的で真剣になれるフットボールの世界に戻りたい。そのために、まず遠く故郷を離れたアリゾナの精神クリニックでセラピーを受けドラッグを絶ちアルコール依存症を克服した。そしてついに、2005年、下部リーグのケタリングタウンというチームで監督として再起を果たしたのだ。

人は、何か一つでも真剣になれるものを持てると、強くなれる。それが生きる希望になるからだ。それを私は彼の生き様から学んだ。

私は、彼のさまざまな破天荒なニュースを聞いた今でも、そしてこれからも、彼のファンの一人であることに変わりはない。




















セラピー受講中のガッザ。まるで別人みたいに痩せこけた。

chat コメント 

コメントをもっと見る

通報するとLaBOLA事務局に報告されます。
全ての通報に対応できるとは限りませんので、予めご了承ください。

  • 事務局に通報しました。