サッカーの言霊�「美しいサッカーと闘争心」

  • 2007年09月02日 22:54 visibility277


「アジアカップを見ていても、僕が感じたのはその闘争心の部分。本当に勝ちたいと思ったら、ゴールに向かうはずなんです。でも、何かいいサッカーをやろうとしているなと。ずっと追ってきた日本人らしいサッカー、個ではなかなか勝てないわけだから、パスを回してボールを動かしていくというサッカーは、間違いじゃないと思う。でも、その中で一人一人が、何があっても勝つんだという強い闘争心を持ってゴールに向かえるか。そこをどうやって変えていくのか、ということを考えていかないといけないんだろうな、と。」
                岡田武史(元日本代表監督) Number 686号より


二次会の練習帰りの電車の中。
くたくたにつかれた体で今週号のNumberを読んでいて、
ハッとさせられたのがこの言葉だった。
前の日記にも書いたけれど、確かにアジアカップで
日本は組織と個人の調和した日本人らしいパスサッカーをした。
しかし、ペナルティエリアを遠巻きにしていくらパスを美しく回しても
サッカーは芸術点がつくスポーツじゃないから
どこかで、個人技で、あるいはワンツーなどのパスワークで
何が何でもゴールに向かうという闘争心をもって
縦に切り込むプレーがもっとあってよかったのではないか。

バルセロナのサッカーが美しいだけではなく
「強さ」も併せ持って感じさせてくれるのは
例えば、04/05シーズンのチャンピオンズリーグベスト16の戦いで
あの華麗なテクニックで有名なロナウジーニョが
今や世界最高のセンターバックの一人ジョンテリーを
弾き飛ばして決めたゴールのように、
左右45度からの仕掛けで、何が何でもゴールに向かう姿勢を
垣間見せてくれるから、なのだと思う。

だとすれば、日本サッカーに足りないもの、
それは、華麗なパスワークのどこかで縦に切り込んでいき
何が何でもシュートに結びつける、という闘争心なのかもしれない。
ただし、この闘争心とやら。
記事の中でも書いてあったけど、
単にサッカーだけの問題ではなくて、
平和に慣れきった日本社会全体の問題らしいのが厄介なのですがね。



















































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