私の心の中のネジ巻き時計
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学
2007年07月05日 21:55 visibility135
私の家の隣には神社がある。その境内はゲートボール場になっているのだけれど、昔からそこはうってつけのミニサッカー場だった。
夕焼けが赤紫に空を染めたその下で、子供達が5〜6人、ベンチを2つゴールにしてミニゲームをしていた。
懐かしくも微笑ましい光景。
私も真っ暗になるまでこの砂の「ピッチ」でプレーしていた少年時代を思い出した。
子供達は思い思いに自分の好きな日本代表選手のユニフォームを着て、その選手になったつもりで楽しそうにプレーに熱中している。
耳を澄まして聞いていると、やれ「前線からプレスをかけろ」だの、やれ「ワンサイドカット」だの、いっぱしのサッカー選手みたいなかけ声を掛けていた。
こんな場末の子供の遊びにもサッカーの戦術用語が浸透したんだなぁ、と感慨深かった一方で、この「ピッチ」でサッカーに興ずる子供が私たちの時代よりも少なくなっていることに少し悲しい気持ちになった。私たちの頃は自然と10人前後集まってきていたのに。
今の日本代表に、子供達を惹き付ける魅力がなくなってしまったのだろうか。
日本代表の小さなレプリカシャツがボールを嬉々として追いかけるのを目を細めて眺めつつ、ふとそんなことを考えた。
そういえば。
私の心の中でも、かつてあんなに熱かった日本代表に対する情熱が冷めてしまっていることに気がついた。私たちが、ドーハの悲劇に悔し涙が止まらなかった時のような。ジョホールバルの歓喜に我を忘れて喜びを爆発させたときのような。あの高揚感はどこにいってしまったのだろう。
思えば、私の心の中のネジ巻き時計は、あのワールドカップドイツ大会のオーストラリア戦から止まったままだ。
私は、あの敗戦から未だに立ち直れないでいる。
だから、その後の日本代表の試合を観戦する興味が湧かなかったのだ。
あの試合、私は勝てたと思っている。それも強大なあのオーストラリアを圧倒して勝てたと思っている。
日本代表が普段通りの闘いを演じることができていれば。
それができなかった理由は自分の中でいくつかあるのだけれど、いまさら批判しても仕方がないし、たとえ自分では説得力があると思ってもそんなの結果論じゃんて一笑に付されるのがオチだから、ここでは書かない。
ただ、一つ言えるのは、あの試合で私の心が折れてしまったのは、決してオーストラリアに敗れたからではなく、それが自分たちの臆病からか経験不足からかは分からないけど、日本の、日本人の、100%のサッカーを出し切れていなかったからだと言うこと。やっぱり日本は駄目なんだと思ってしまったこと。やっぱり代表に過度の期待をしても無駄なんだと思ってしまったこと。
それが何より悔しくて仕方なかったのだ。
それ以来、私の心の中のネジ巻き時計は止まったままだ。
そんな私の気持ちを見透かすわけでもないだろうけど、奇しくもあのオーストラリア代表がアジアカップに参戦することになった。
この止まったままの時計のネジを再び回し動かすのは、9日から始まるこのアジアカップでの、オーストラリア戦での勝利でしかない。できれば決勝戦で。しかも、相手を圧倒した上での快勝でしか私のネジは回らないだろう。あのドーハやジョホールバルクラスの激情でしか、私の中の燻った気持ちに火はつかないのかもしれない。
だから今度こそ。
今度こそ、自分たちの本来持っている100%の力を出し切って、日本は強いんだ、自分たちのやっていることは間違っていないんだ、と2010年の南アに向けて自信を持てる試合をしてきて欲しい。
今の日本代表にはきっとそれができる。
まだ心のどこかでそう信じている自分がいるのだ。
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