フットサル三国志連載スタート

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    2024年08月03日 09:44 visibility180

フットサル歴史本を出版するプロジェクトの開始と並行して、書籍の内容をLaBOLAとSALで連載していきます。出版するすべての内容ではないですが、「黎明期」と呼ばれた2000年前後から、Fリーグの開幕からの盛り上がりを綴った「新生期」の途中までを掲載します。多くのみなさんにフットサルの歴史を知ってもらい、興味を深めてもらえますと幸いです。

 

第1章 チーム勃発

その1 それは選手権から始まった

1995年、日本サッカー協会(以下、JFA)は、サロンフットボールからFIFAルールに則ったフットサルの普及を受け、全日本フットサル選手権大会(以下、全日本選手権)開催を決断、その第1回大会を1996年の1月開催とした(当時の大会名は「FUTSAL NISSAN CUP’96 第1回全日本フットサル選手権大会」)。サッカーの天皇杯と同じ仕組みで、誰もが参加でき、地方の予選大会を経て、中央の決勝大会にはおおよそ16チーム(のちに20~24チーム)が進み、日本一を競うものである。以来、選手権の開催は、年末に地域の予選、決勝大会は年初(1月〜3月)に開催されている。

選手権開催決定の背景には、世界選手権・アジア予選の代表選考の場が必要になったことが挙げられる。今まで「ファイブ・ア・サイド・フットボール」と呼ばれていた競技名が「フットサル」と正式に独立した競技名に改められ、FIFAフットサル世界選手権(以下、世界選手権、のちに「ワールドカップ」)となって、1996年にスペインで開催されることが決まったのである。

そもそもフットサルは、今のところ学校スポーツでもないし、企業スポーツでもない。したがって、競技志向のチームが参加できる大会は、フットサル施設あるいはイベント会社が開催する民間大会がほとんどで、当時はその大会もまだ数は少なかった。

そんな折に開催されることになったJFA主催の全日本選手権は、フットサルなら日本一になれるかもしれないという、足に自慢のあるフットサル愛好家チームはもちろんのこと、本格的な大学のサッカー部、企業のサッカー部などもこぞって出場する夢のある大会となった。初回の参加チーム数は定かでないが、回を重ねるごとに1000チームを超える大きな大会となっていった。

今でこそ競技フットサルの中心はFリーグに移ってしまったが、フットサル競技が発展途上ということもあって、いわゆるエンジョイフットサルのストレートな延長線上に全日本選手権があり、結果的に多くの競技志向のチームや選手を輩出してきた大会と位置付けられる。

お宝写真は、第3回の優勝杯で、第1回からこの優勝杯だったかどうかはわからないが、この優勝杯を掲げることを目指して、多くのチーム、選手が喜び、涙してドラマを繰り広げてきたことは間違いない。

果たして、第1回はどんなチームが参加したのであろうか。

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