import_contacts 「予選準皆勤校」に関するブログ
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滋賀県勢に甲子園の夜明けが訪れたのは、1957年(昭和32年)の第29回選抜高等学校野球大会であった。この年、春夏通じて甲子園初勝利を挙げたのが、八商こと八幡商業であった。 八幡商業は、1886年(明治19年)に滋賀県商業学校として大津市に開校、1901年(明治34年)に現在の近江八幡市に移転した。硬式野球部は、1898年(明治31年)に創部され、滋賀県内では彦根東に次ぎ、膳所と並ぶ歴史を有する。...
|10年前 -
盛岡一高は1880年(明治13年)に公立岩手中学校として創立され、岩手県内では盛岡農業に次ぐ歴史を誇り、岩手県内のみならず東北地区を代表する進学校である。硬式野球部は1899年(明治32年)に創部され県内最古の歴史を有する。甲子園には夏のみ9回出場し、通算成績は7勝9敗、最高成績はベスト4(2回)である。 1915年(大正4年)第一回夏の全国大会東北予選は、秋田中(秋田)、横手中(横手)、秋田農(...
|10年前 -
先ずは早慶戦(笑) 早稲田実業には二度目の放浪となるので、国分寺駅北口から楽々到着と相成りますた。 横断幕が飾ってあるのでは?と思いましたが、それらしきものはなく、守衛さんに聞いてみる。 歴戦「この度はセンバツ出場おめでとうございます。」 守衛「ありがとうございます。」 歴戦「横断幕はないんですかね?」 守衛「はい。」 歴戦「常連ですからね。」 守衛「・・・。」 早稲田実業は1901年(明治34年...
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暑さ寒さも彼岸までといいますが、これまでの暑さが嘘のようにとても過ごしやすい気候になりました。 さて、1915年(大正4年)第1回全国中等学校優勝野球大会の優勝校は京都二中であったが、優勝校から順に破れた対戦相手校を逆さにたどって行くと以下のようになります。 (全国中等学校優勝野球大会)京都二中→ 秋田中→ 早稲田実業→ 神戸二中→ (兵庫大会)関西学院→ 神戸一中→ 伊丹中(現・県立伊丹) この...
|12年前 -
本州で一番面積の広い県といえば、岩手県です。 岩手県といえば、菊池投手を擁して春の選抜大会で準優勝した花巻東高校の活躍に心が踊った。 その岩手県だが、東北地区では秋田県と並び中等学校野球の歴史は古く、1886年(明治19年)に盛岡中学(現・盛岡一高)で野球が行なわれた記録が残っている。 1899年(明治32年)には、盛岡中学で正式に野球部が創部され、同年に仙台一中(現・仙台一高)との間で対抗戦が行...
|12年前 -
アタシが20代半ばを少し過ぎた頃だろうか、弊社にアルバイト員としてひとりの青年が入門してきた。ロン毛で見た目はどちらかといえば、チャラ男系であった。しかし、彼は真面目で、礼儀正しい青年であった。たまたまゆっくりと話す機会があり、理工系の某名門大学に通っているとのことだった。出身地を聞いてみたところ、仙台というので、すぐさま仙台二高の近くかしら?と言うだけ言ってみた。「えっ!自分、仙台二高出身なんで...
|12年前 -
日本の市町村を面積の広い順に20並べると、①岐阜県高山市 2,177.67 ②静岡県浜松市 1,511.17 ③栃木県日光市 1,449.87 ④北海道北見市 1,427.56 ⑤静岡県静岡市 1,411.81 ⑥北海道足寄町 1,408.09 ⑦北海道釧路市 1,362.75 ⑧北海道遠軽町 1,332.32 ⑨北海道別海町 1,320.22 ⑩山形県鶴岡市 1,311.51 ⑪広島県庄原市 1...
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※撮影協力は歴戦撮影隊京都支部長補佐代理 京都府の府庁所在地で、794年に平安京が置かれ、以後、明治時代初期の1869年まで天皇の居住する日本の首都であり、日本の古都として知られ、神社仏閣や、四季を通じたさまざまなイベントなど観光資源も多く、内外から多くの観光客が訪れる、人口約147万人の京都市に、京都府立洛北高校があります。 なお、京都市は京都府の人口の半分以上を占めており、都道府県全体の人口の...
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※撮影協力は歴戦撮影隊島根支部長補佐代理 島根県の東部に位置し、同県の県庁所在地で、宍道湖と中海に挟まれた地域に広がる水郷都市で、松江藩の城下町を中心に発展してきた山陰の中心都市であり、鳥取県米子市とともに中海・宍道湖経済圏の中核を担う人口約20万人の松江市に、松江商業があります。 松江商業は、1900年(明治33年)に島根商業として山陰に先駆け、全国で32番目の商業高校として開校し、同窓生は約2...
|13年前 -
夏の大会で、東京代表が単独出場となったのは1923年(大正12)第9回大会からである。当時はリーグ戦形式で予選が行なわれ、最も勝ち星の多いチームが優勝、もし、1位チームが複数ある場合は直接対決で優勝を決めていたようである。1927年(昭和2年)第13回全国中等学校優勝野球大会東京予選は、11校参加でのリーグ戦が行なわれ、早稲田実と麻布中が9勝1敗で並び、直接対決の結果、早稲田実が代表となった。準優...
|13年前 -
甲子園への壁は高い? 1915年(大正4年)、第一回夏の大会予選参加校は全国で、秋田中、横手中、秋田農、早稲田実、荏原中、日本中、早稲田中、慶応普通部、麻布中、立教中、成城中、山田中(三重四中)、斐太中、富田中、岐阜中、愛知一中、愛知四中(豊橋中)、京都二中、同志社中、京都一商、京都五中、京都師範、京都美工、京都一中、立命館中、八幡商、滋賀師範、坂本中、神戸二中、関西学院中、神戸一中、御影師範、伊...
|13年前 -
愛媛県松山市といえば、忘れてはならない高校があります。それは、愛媛県立松山東高校である。 1828年(文政11年)藩校明教館の流れを汲み、旧制松山中学以来の伝統を持つ愛媛県内最古の高校で、愛媛県内屈指の進学校である。 野球部は1892年(明治25年)に創部され、こちらも愛媛県内では最古であり、春の大会に1回、夏の大会に2回出場、甲子園通算成績は6勝2敗で、1950年(昭和25年)に夏の大会で優勝し...
|13年前