ミスを見越した作戦・指導の是非

あくまでも個人の考えですが、

バッテリーからすれば、

「インプレーにすること=バッテリーミス」

だと思うのです。

 

バッテリーの役目というのは一体何なのか。

失点をしないこと。

失点をするのはどういうことなのか。

ランナーがホームに生還すること。

ではホームに生還させないためにはどうしたらよいか。

ランナーをホームに来る前にアウトにすること。

だったらそもそもランナーをバッターボックスから出さないことが最も理想型なのではないでしょうか。

 

そうすると、バッテリーが常に考えなくてはならないことといえば、

「インプレーにしないこと」

と言えるでしょう。

つまり、バッテリーは常に三振を奪うことを考えなくてはならないと言えるでしょう。

 

三振を奪うことを考えるには、打者の観察が必要になってきますし、その打者から発せられる肉体言語などいろいろなシグナルを読み取るのに最もやりやすいポジションがキャッチャーであるわけで、そういった意味でキャッチャーが配球を考えることというのは理にかなった行為だと思うのです。

 

それを基に考えれば、インプレーにしてしまったというバッテリーのミスを他の7人の野手が尻拭いをするというのが「ミスをした前提での」最善策と言えると思います。

 

ところで私は

「制球ミスを見越した配球」

というのは、正しい部分と間違った部分とがあるものだと思います。

ピッチャーが制球難である一つの理由は、

「コースにキチンと投げなければならない」

ということで発生するものだと思います。

 

そんなピッチャーをこの先「使えるピッチャー」にして行くにはどうしたらよいでしょうか。

簡単な話、

「コースに制球ができなくてもゾーンさえ間違えなければ大丈夫」

という、これこそ本来あるべき形の「制球ミスを見越した配球」というものが必要かと考えます。

 

また、投手自身、制球ミスでフォアボールや痛烈な打球を打たれると反省して修正しようというマインドになります。その結果、ゾーンを間違えることなく投げられるようになり、最終的には制球難は克服できます。

 

しかし、この「ゾーンさえ間違えなければ」のところがスッポリ抜けてしまうと、制球できない場合にアウトにできているのに、要求通りに投げ込んだら痛烈な打球を浴びせられたり、打者が何も反応しない不可解なフォアボールをしたりとなれば、ピッチャーからすれば、

「打たれたのは自分の球に力が無かったんだ」

「見逃されたのは自分の球が悪かったんだ」

と今までの自分を否定する行為に陥ってしまい、

球速を上げるための無理矢理な肉体改造やフォーム改造をしてしまうことで、怪我をし、選手生命を潰していく可能性を孕んでしまうのです。

 

刹那的な勝ちを拾うためにこういうことを考えてしまうと、成長の芽が潰されてしまうのです。

「ミスを見越した」といっても、その先に「成長」がなければ意味が無いのです。

 

まとめます。

「ミスを見越した」作戦や指導をするには、

「ミスをしたあとのバックアップ」

「ミスをしたあとのレベルアップ」

までも見越さないといけないのではないかなと私は考えます。

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