兵庫県立洲本高等学校の過去の栄冠

おはようございます。

ここ常陸の国水府地区は昨日から冷たい雨が降ってます。

日々冬が近づいているという実感があります。

 

さて先日私が好きな社会人野球チームのセガサミーの監督にあの西田真二さんの監督就任が正式に発表されました

今年セガサミーは都市対抗も日本選手権も出場を逃し初芝監督が責任を取った形で退任。

それにしてもセガサミーは元プロ野球出身の監督が好きですな。

 

また明治神宮大会の大学部では慶應義塾大が関西大学を8対0で破り今季で退任する大久保監督に最高の花道を送りました。大久保監督は来季からはJX-ENEOSの再建を任されます。

 

そして慶応義塾大の監督にはJR東日本の堀井監督が就任します。

明治大学の善波監督に後任は誰になるのでしょうか?川上憲伸だったりして!

 

さて私は最近芸人でも一発屋が好きです。

コウメ太夫とかラッキー池田とかクールポコとか東京エレキテルとかせんだみつおとか?せんだは違うか?

さて表現は違うかもしれませんが、高校野球でも一発屋の高校はあります。

 

たとえば

飯田長姫高校とか伊野商業とか岩倉高校とか崇徳高校とか日大桜丘とか取手二高もその部類に属するかもしれない、優勝はしていないが中村高校とか羽黒高校とかもその部類に属するが書ききれないのでこれくらいに。

 

そんな高校が久々に復活して甲子園へ出場するのが私にはたまらないわくわく感がある。

古豪復活ではない!なぜなら今あげてた高校は過去強豪校ではなかったからである。

強豪校の定義が難しいが、申し訳ないが、これは私が勝手に決めている。

 

さて今回は玉ねぎで有名で島民のほとんどが血液さらさらの兵庫県立洲本高校紹介したい。

兵庫県と言えば古くは神戸二中、関西学院中、滝川中、甲陽中、育英中、第一神港中とかそうそうたる古豪がひしめいている。夏7回、春6回全国を取っているいわば球県である。

今は東の報徳、西の東洋と言われてそこに明石商業が台頭してきている現状である。

 

そんな中戦後彗星のごとく現れてきたのが兵庫県立洲本高校である。

洲本高校は兵庫県洲本市上物部2-8-5にある。所謂淡路島の中心地のところである。

 

明治30年兵庫県洲本尋常中学として創立。34年県立に移管して洲本中学校と改称。

昭和23年学校改革で洲本高校となり同年9月県立淡路高校(旧淡路高女)を統合した。

 

正式な創部は大正10年だが、明治35年には校内野球大会が開催されるなど県内では草分け的な存在の一つであった。

 

昭和27年12月に広瀬吉治監督が就任。

昭和28年選抜に北口勝啓(専修大→明電舎)と4番加藤昌利(近鉄→パリーグ審判)のバッテリーに1番レフト久下本誠吾(立命館大→洲本高校)、3番サード阿部好佑(慶應義塾大)、5番センター長尾勝弘(新日鉄広畑)らで甲子園へ初出場。

 

北口投手が中京商業、豊橋時習館を3安打完封。準決勝小倉高に一点を失ったが5点をとり勝利。

決勝では浪華商業を4安打で完封し見事初出場、初優勝を飾った。

 

以後はしばらく甲子園には出場できなく50年夏の第57回夏の大会に左腕山家泰臣で22年ぶりに甲子園へ出場したが初戦の秋田商業戦で0対9で相手エース今川二世と言われたアンダーの山岡政志に完封された。

 

58年夏の決勝戦でも敗退。

このとき決勝で2年生の川畑泰博(中日→オリックス)が登板している。

 

61年の第58回大会選抜に小笹山宏(近畿大学)で出場したが初戦の拓大紅陵戦で相手木村投手に4安打に抑え込まれ完封負けしている。

 

その後は平成5年春4番樋口で県大会準優勝。

14年春にはエース藤井大樹で県3位となり51年ぶりに近畿大会へ出場した。

 

甲子園からはすでに35年も遠ざかっている。

いつしかまた淡路島からの甲子園出場で洲本旋風(玉葱旋風)を巻き起こしてほしいと願ってやまない。

 

                                           以上です。

 

(初出場・初優勝で満面の笑みの洲本高校ナイン)

 

 

(洲本高校戦で力投する秋田商業山岡政志)

 

(兵庫県予選で力投する左腕 山家投手(場所は多分甲子園と思われます昔兵庫県予選は甲子園で行われている時代もありました))

 

                                  おわり

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