
蒲原弘幸氏(公立四校で甲子園出場)
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篠山鳳明
2025年07月04日 16:08 visibility290
蒲原弘幸氏(かもばら ひろゆき)
1939年4月22日生まれ 86歳
佐賀県川上村(現在の佐賀市)出身
東京都立田園調布高校から早稲田大学に進学、投手登録で有ったが途中から三塁コーチを務めた。
卒業後は社会人の河合楽器野球部に入部したが、教員試験合格後
1964年に佐賀商業野球部の監督に就任した。
大学時代、鬼の石井連藏監督の教えを請いた為か?スパルタ指導で有った。
厳しい練習の元佐賀商業ナインは、1965年の佐賀大会を勝ち上がり
選手権大会に出場した。
その時は2回戦で丸子実業に敗戦、更に指導は厳しさを増し、父母会で問題になり、監督を解任される。
その後は千葉県に移り東金商業では甲子園には導けなかったが、千葉商業では1970年の第42回選抜高校野球大会に出場、ベスト8まで勝ち上がったが広陵高校に敗れた。
その後は印旛高校に移り、大投手菊池総を擁して50回の選抜大会に出場、PLと対戦して敗戦してが、1981年の第53回選抜大会では決勝戦でまたPLの熱戦を演じ惜しくも逆転負けで準優勝を飾った。
その後は印旛高校で夏もう一回と柏陵高校に異動しても1999年の選抜と選手権大会に左腕の清水投手を擁して連続出場した。
また後には群馬県の樹徳高校、そして千葉県に戻り布佐高校(現我孫子東高校)の監督を務めた。
印旛の準優勝した佐藤投手をスカウトする時に
「君は最寄り駅から上りの電車に乗らないでくれ!、お願いだから下りの電車に乗ってくれ!」と頭を下げて口説いたとか?。
現在は船橋市の小室に在住しており、偶に日曜日の昼下がり、松戸や柏の大好きな蕎麦屋に蕎麦を食べに出歩いて居るようです。
練習は相当厳しかったらしいが、何となく厳しい中にも人情味の有る監督のような気がする。
☆月刊千葉ニュータウンNEWS2024年5月号
☆月刊野球党 選抜大会(第50回大会)
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