
ユニフォームに込められ想い(岩手県県立福岡高校)
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篠山鳳明
2025年09月01日 05:10 visibility115
岩手県立福岡高校。
岩手県二戸にある高校で昔からのバンカラの校風を今でも受け継ぐ高校である。
その福岡高校(当時は福岡中学)が昭和2年に甲子園へ初出場した。
初戦は北関東の雄桐生中学を4-1で下して初勝利を挙げる。
次戦は優勝した高松商業に善戦はしたが延長12回0-1のサヨナラで惜敗した。
この福岡高校のユニフォームは世間では『H』で有名で有る。
しかし1901年4月28日創立の124年の伝統のある福岡高校
最初は『H』ではなかったのである。
福岡高校のユニフォームもまた色々な流れが有り最終的には今の『H』に落ち着いたのだ。
最初は『KEISUI』で有った。
これは郷土の英雄 相馬大作の号に由来を発している。
その後は明治末から大正初期は『SANYO』になる。
これは福岡高校のシンボルである『三葉の松』から来ている。
その後は『KEISUI』の頭を取り『K』になる。
そして『三葉』を『MIHA』と読み採用された。
更に大正12年頃に『FUKUOKA』になり、大正15年の冬から今の原型である『H』の文字が定着したと言われている。
しかし何故『F』ではなく『H』なのか?東北訛りで「ほこおか」になるからなのか?、また九州の福岡と区別する為なのか?ヘボン式に慣れている一派人には摩訶不思議である。
昭和2年の甲子園大会ではNHKのラヂオ📻️放送でアナウンサーが入場行進時「ほこおか中学」と放送されが抗議が入り高松商業との対戦では「ふくおか」に訂正されたようだ。
先人達の想いが込められたユニフォームにも色んな歴史毎が有るなぁ?と改めて思いました。
☆陣場台熱球録より引用。
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