鍛治本 明典(大鉄→近畿大学)

『イケイケどんどん』結構好きな言葉だった。

若い頃はであるが、歳を取ると守るものが多くなり、多少方向修正をしなければいけない。

定年になり守る物がなくなった私は再び人生二回目の『イケイケどんどん』期に入ってきたのか?病気(かみさんから言わせれば)が止まらない。

 

まぁそれはさておき、高校野球界の『イケイケどんどん』は私は個人的に第59回夏の高校野球の大鉄高校ではなかったかと思う。

大鉄高校、一言で言えば『訳がわからんチーム』で有った。

 

その時の司令塔の鍛治本捕手です。

※(池田、PLはまた別次元と考える)

 

大鉄高校の鍛治本明典捕手。

第59回全国高校野球選手権大会に大阪代表として出場。

爆発的な打力と、チームの『イケイケどんどん』のパワーでベスト4まで上り詰めた。

東邦に惜しくも3-5で敗れるが、7回に鍛治本の相手坂本投手(鹿🦌の子供)から左ポール際に本塁打を叩き込み、一時は3-1とリードした。

この本塁打で当時の大会記録の20本を数え、大鉄高校もチーム合計5本となりこれも大会記録となった。

 

鍛治本はその後、近畿大学に進学し野球部で

1年目からマスクを被った。

 

2年時秋季リーグでは本塁打4(1位)、打点15(1位)、打率347(6位)と好成績を挙げMVPに輝いた。

オールドファンであれば記憶の片隅に有るかと思います。

 

 

 

PS:モノクロは大学3年生時代、カラーは甲子園。

 

 

☆ベースボールマガジン社 大学野球 1980年秋季リーグ展望号

☆アサヒグラフ 第59回夏の甲子園大会号から引用。

 

 

 

 

chat コメント 

コメントをもっと見る

通報するとLaBOLA事務局に報告されます。
全ての通報に対応できるとは限りませんので、予めご了承ください。

  • 事務局に通報しました。