
三沢商業の奇跡(あのひとときの夏の時間が忘れられない)
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篠山鳳明
2025年11月15日 19:39 visibility30
三沢市は青森県の南東部に位置しており、東は太平洋に面し、西は小川原湖に臨んでいる。
東西約11km、南北約25km、面積約120平方kmの平坦地で、世界的に重要な湿地としてラムサール条約に登録された「仏沼」を始めとする豊かな自然に恵まれている。
古くから馬産地として栄えた県南にあって、三沢市域は江戸時代には藩政牧場の「木崎牧」に含まれ、人々は馬産や漁業に携わっていましたが、太平洋戦争後に旧日本海軍飛行場が米軍三沢基地となり、三沢市は大きく変貌しました。 現在は、全国有数の航空施設がある大空のまちとして、約4万人(内基地関連米国人は1万人)の人口に加え、多くの米軍人、軍属及びその家族が暮らし、異国情緒漂う国際都市として独自の発展を続けている。
三沢と言えば1968年(昭和43年)第51回全国高校野球選手権大会での三沢高校の活躍がクローズアップされるが、今回は三沢高校ではなく三沢商業にスポットライトを浴びせて見たい。
青森県立三沢商業高等学校は、青森県三沢市春日台二丁目に所在する公立の商業高等学校。
地元では三商(さんしょう)と呼ばれ親しまれている。
平成から令和の現在まで、我が国の簿記教育の最先端を担う「SAH」(スーパー・アカウンティング・ハイスクール)指定を受けている。
「理想・協力・規律」の校訓のもと、商業教育の強化・充実を図るとともに、産業人としての自覚を持たせ、感受性豊かな人格と、社会の進歩に即応できる能力と実践力を身につけさせるよう指導している。
野球部の創部は1963年(昭和38年)と比較的新しい。
1986年(昭和61年)長年指導を地味にされた横山英樹監督が率いてエース石橋博仁、主将大間啓を中心に青森大会を勝ち上がって来た。
二回戦 青森戸山6-5
三回戦 光星学院4-3
四回戦 東奥義塾3-0
準々決勝 八戸高校5-3
準決勝 八戸西高5-1
決勝戦 青森山田 4-1と勝ち地元三沢が待望の待ちに待った甲子園出場を決めた。
三沢市からの甲子園出場はあの太田幸司がいた三沢高校以来実に18年ぶりの出場で有った。
甲子園では滋賀県の甲西高校と開幕日開会式のあとの第一試合で対戦。緊張感もあったのか?0-7と完敗した。
その後2017年(平成29年)第97回大会でそのチャンスは巡って来たのだ。浪岡健吾監督が地道に指導した成果が実を結んだのだ。
二回戦 鶴田14-0
三回戦 大湊9-5
四回戦 八戸工業4-1
準々決勝 弘前聖愛6-2
準決勝 青森高校9-8
と決勝戦まで勝ち上がって来たのだ。
そして決勝戦の相手は常勝軍団の八戸学院光星だ。
先制点は八戸学院光星が3回表1点先取したが、試合は押し気味に進めていた三沢商業。
8回裏とうとう1-1に追い付いた。
試合は延長戦に入る、三沢商業野田、八戸学院光星中川両投手とも譲らない。
試合は延長12回裏呆気なく幕は降りた。
一死から8番米内山が右翼線二塁打で出塁、しかし二死1、3塁となり2番の鎌田憲は三振に倒れたが、ボールがバックネットに転がる間に3塁ランナーが生還して劇的なサヨナラ勝ちを収め2回目の甲子園出場を決めた。
打撃テーブルを見ると、八戸学院光星が安打4、三沢商業が安打7と三沢商業が内容としては押していたが勝利の女神は三沢商業に微笑んだ。
下馬評では八戸学院光星が圧倒的に有利だった。
なんせ2011年〜2012年には選抜、選手権含めて3季連続準優勝しているし、当時は青森三私学の中でも一番実績が有った。
その下馬評を三沢商業は見事に覆した。
甲子園では埼玉の強豪校花咲徳栄に3-15と大敗したが青森大会で三沢商業が見せた粘り強い野球見せた。
私はあの2015年の夏を忘れる事は出来ない。
- 事務局に通報しました。

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