輝かしい栄冠 松商学園(長野県)

松本市は、長野県の中信地方に位置する市。中核市、国際会議観光都市に指定されている。県庁所在地の長野市に次ぐ県内2位の人口をもつ中信地方の中心都市である。

 

国宝松本城を中心とする松本藩の旧城下町。城下町は松本城の外堀に沿って善光寺街道が通っており、千国街道や野麦街道が分岐する交通の要衝となっている。1871年(明治4年)の廃藩置県後、1876年(明治9年)まで長野県とは別に筑摩県が置かれ、その県庁所在地になっていた。

 

旧開智学校(国宝)などの歴史的建造物が多く残る。

 

また前述の松本城は別名『烏城』としても日本に残る城の中でもその佇まいは見る人の心を惹きつける。

 

そんな松本市にある

 

松商学園高等学校は、長野県松本市県三丁目にある私立高等学校。 1898年に起源となった私塾「私立戊戌学会」が創立された。学校法人松商学園#沿革1898年8月 木澤鶴人が松本市上土町(大手4丁目)に私立戊戌学会を創立。

 

松商学園硬式野球部は大正2年(1913年)に創部され、夏の甲子園大会優勝(1928)、春の選抜大会準優勝(1926,1991)をはじめとした成績を残し、夏の甲子園大会37回出場を誇る全国を代表する硬式野球部で有る。

 

また『大正、昭和、平成、令和』と四元号勝利を達成している高校でもある。

 

松商学園と言えば先ずは思い浮かぶのが1928年(昭和3年)の第14回夏の甲子園、全国優勝ではないだろうか?

 

一回戦 広陵中 3-2

 

二回戦 鹿児島商業 3-2

 

三回戦 愛知商業 5-0

 

準決勝 高松中 3-0

 

と破り勝ち上がり決勝戦は京都のこれまた強豪平安中松商学園は中島→百瀬のバッテリーの力投で先制攻撃で3-1と勝ち見事に天下に名を轟かせた。

 

松商学園は前年度の第13回夏の甲子園

 

準決勝で広陵中に延長14回4-3で敗れているが、その広陵中に一回戦辛勝したのが大きかった。

 

また選抜大会では未だ記憶に新しい1993年(平成3年)が印象に残っている。

 

決勝戦はやはり因縁の相手広陵高校で有った。

 

両校は1926年(大正15年)第3回春の選抜でも決勝戦で戦っている

 

その時は広陵に0-7と完敗している。

 

広陵は塩崎、小土居。

 

松商学園は大黒柱の上田佳範そしてリリーフの中島が投げ

 

松商学園が先制したが、広陵が7回3点を入れて5-5として、ドラマは9回裏に待っていた。

 

広陵二死1.2塁から8番下松孝史が打った打球はライトへ、バックホームに備えていたライト上田のグラブをかすめ無情にもボールは落ち広陵が劇的な優勝を成し遂げた。

 

松商学園は大正13年の夏の甲子園でも決勝戦まで進出したが広島商業に0-3と敗れている。

 

何かと広島勢とは縁が深いのかも知れない。

 

そんな長野県の松商学園野球部史がここに有るが、

 

重厚で有る。その重厚さに松商学園が持つ伝統があるのであろう。

 

個人的にでは有るが私は

 

北海道の北海高校

 

京都の平安高校

 

そしてこの長野の松商学園ここを甲子園常連校御三家と勝手に呼んでいる。

 

☆松商学園野球部 百年史より引用。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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