日本最初のプロ野球チーム
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Mr.black
2010年08月12日 17:48 visibility2300
一つ前に書いたように日本最初のプロ野球チームは「日本運動協会」でした。(以下、芝浦協会)
この芝浦協会が設立された経緯は今日のプロ野球チームとは異なるものでした。
設立された目的は二つあり、一つは「アメリカのように日本にもプロ野球を」というものでこれは今日のNPBと同じですね。
しかしこの球団設立のもう一つの目的は「アマチュアの模範となる組織が日本の野球界には必要である」ということでした。これはどういうことかというと当時のアマ野球界が抱えている問題があったのです。
当時日本の野球は大学野球が最高峰でした。一応実業団野球(今日の社会人野球)が存在していたとは言うものの、日本人の感覚としては「アマチュア至上主義」のようなものがあり、大学卒業後に実業団に行かない選手も多く、そのため野球のレベルと人気は大学野球がNo.1だったそうです。
当時の大学野球熱は現在の比ではなく、大学野球のレギュラー選手はそれこそスター並みの人気があったそうです。しかし若者がスター扱いされるのはやはり弊害を生み出すのですね。人気に溺れて学業をおろそかにする者、不祥事を起こす者などが多くなり、また応援合戦が過熱することによる応援団同士・学生同士の喧嘩や騒動も酷くなって行ったそうです。
この事態を憂いた球界関係者たちが「学生の規律を正すためには学生野球の一つ上に彼らの模範となるべきプロ野球組織が必要である」と考えたのです。
そこで創設されたプロ野球チーム、それこそが芝浦協会だったのです。
その選手の選考基準は野球の技術だけではなく、人格や性格なども考慮されたようです。
また、「大学生から侮られないように」ということで入団後は様々な勉強をさせられたようです。
選手は芝浦球場のそばに造られたクラブハウスを寄宿舎代わりにして昼は野球の練習、夜は勉強という過酷な日常を過ごしていたのです。
この時、選手たちには下記のようなことが規律として厳守させられました。それは
1. 審判の判定には絶対に服従。抗議したり不満そうな態度を取らないこと
2. 攻守交替は駆け足で迅速に行うこと
3. 相手に対して汚いヤジを言わないこと
4. 外出には許可を得ること、またむやみに単身で外出しないこと
5. 外出時にはきちんとした服装をすること
6. 基本的に禁酒
などです。
まるで修行者か寄宿学生みたいな厳しさですね。こういったことが要求され、それが「学生に対しての模範となるべき行為」ということは当時の学生野球の風紀が相当乱れていたという裏返しのように思えます。
こういったことが功を奏して選手は規律正しく、非常にマナーの良いプレーぶりで観客からは大きな賞賛があったということです。
しかしその一方で一部の心無い観客からは「商売人!」などとヤジられたこともあったようです。当時はまだまだ「スポーツで飯を食う奴は卑しい」という考えが多かったのですね。
芝浦協会に続き、第二のプロ野球チーム「天勝野球団」が結成され、この2チームの対抗戦は非常な人気だったと言われています。
・・・・・しかし関東大震災が全てを無にしてしまいました。芝浦球場を事実上行政から取り上げられてしまった協会はやむなく解散。同じ頃、天勝野球団も消滅してしまいました。
私はこの芝浦球場取り上げはやはり「プロ野球は卑しい集団」という差別意識が国と行政側にあったのだと考えています。大学野球のグランドは都内に多数あったのにどこもこういう目に遭わされませんでした。芝浦球場と協会だけがこんなひどい目に遭わされたのは言わば「大道芸人のテント小屋を撤去させた」のと同じような感覚だったのだと思っています。
アマチュア(学生)の模範となるべく設立されたにも関わらず、「卑しいプロ」という差別意識みたいなもので解散に追い込まれた協会。
この芝浦協会にはその後思わぬ救世主が現れました。「阪急」です。阪急の小林一三氏が協会の選手たちを再結集して「宝塚運動協会」を結成したのです。
小林氏の計画は「宝塚協会を中心にして関西に鉄道リーグを作る。ゆくゆくは関東の鉄道会社とも連携して東西鉄道リーグを作る」という壮大なものだったようです。
私が阪急及び後に結成されたブレーブスを尊敬しているのはこういった野球文化に寄与しようとした姿勢が突出していると思うからです。(私は近鉄ファンですけれどもね。それとは別次元の問題として尊敬しています。)
しかし・・・・・時代はまだ少し早すぎたのですね。笛吹けど誰も踊らず、結局他の鉄道会社が追随してくれず、小林氏の壮大な計画は頓挫し、宝塚協会は解散してしまいました。
日本のプロ野球はこの後、大日本東京野球倶楽部(読売ジャイアンツ)の誕生まで空白期間を迎えてしまったわけです。
「アマとは?プロとは?」
「何が美しくて何が卑しいのか?」
これは私が常々考えているテーマです。今回はこのテーマを検証したくて芝浦へと行ったわけです。今後もこれは考えていきたい永遠のテーマです。
長文で失礼しました。
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