夢のあと (半分非野球)
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Mr.black
2008年07月24日 10:00 visibility510
万博球場のある「万博記念公園」。ここは大阪万博の跡地を大規模な公園に転用したものです。
大阪万博の開催当時自分はまだ小さい子供でした。地元開催だったので会期中には両親などに何度か連れて行ってもらいました。自分にとっては初めて「世界」というものを認識した貴重な体験でした。国ごとの様々なパビリオン、パビリオンの係員、海外からの観光客など見たこともない国や外人さんが一杯でした。そしてテーマの一つが「人類の発展・繁栄」だったので、子供心に「人間は素晴らしい。未来はバラ色」みたいな考えを持ちました。(単純)
それから38年もの歳月が過ぎていきました。
万博が終了後も跡地には日本庭園やエキスポランド(遊園地)、万博ホール、国立美術館などがありましたのでたまに訪れることはありました。当時はこの周辺や隣接する千里ニュータウンなどをもとに住宅・学術都市・未来都市的な計画を立てていたようです。
しかし、大阪大学の病院などは出来たものの大阪市内から遠いことや家族構成の変化・生活スタイルの変化などにより周辺の住宅事情は変わりました。千里ニュータウンも一部では居住者が減少し今日では老夫婦世帯が多い老人村のようになっているところもあるようです。
今回訪れた万博球場。モノレールの駅(万博記念公園駅)からここに行く道中にエキスポランドがあります。普通ならば夏休みと祝日が重なっているこの日、大勢の親子連れで賑わっていたことでしょう。子供たちの歓声、遊具の音、場内のBGMなども聞けたはずです。
しかし現実には入場券売り場も正面入り口も閉鎖されており、人影はまばら。ランドに沿って歩いていると場内が見えるのですが、遊具には全てシートが掛けられており、人は誰も居ず、静まりかえっていました。無人の遊園地ほど寂しいものはありませんね。観戦した野球場だけが賑わっていました。野球が無い時のこの周辺は普段どんなものなのだろう?と思いました。
最初に挙げた跡地の設備も「万博ホール」は既に無くなっており、国立美術館は交通アクセスの良い市内の「中之島」に移転しました。ここがこの先どうなっていくのか?
万博のシンボルだった太陽の塔は以前と変わらずこちらを見つめていますが・・・。
万博へのアクセス、大阪モノレール。
伊丹空港から門真市まで走っています。
(支線は大阪大学病院へ行きます。)
閉鎖されているエキスポランドの正面入り口。
再開のメドは立っていません。
周辺には人影もまばらです。
遊具はこんな風に全てシートが掛けられています。
切ないです。こういう情景は。
エキスポランドの遠景。
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