昭和25年にはこんな場所でもプロ野球の公式戦が行われた

  • Mr.black
    2019年12月26日 13:11 visibility2400

先日購入した本「消えた球団 松竹ロビンス」の後半には昭和25年(1950年)優勝時のロビンスの公式戦記録が列挙されています。そこには試合が開催された球場が網羅されているのですが、非常に興味深い資料だと思います。それは以下の通りです。(順不同)

 

<NPB球団の本拠地球場> ★:現存しない球場 ▲:現存するかどうか不明の球場

平和台★

中日(現:ナゴヤ球場)

後楽園★

広島総合(市民球場建設前のカープ本拠地)

甲子園

県営宮城(現:楽天本拠地)

神宮

日生★

大阪★

西宮★

下関市営(当時、大洋の本拠地)★

鳴海(旧:名古屋金鯱軍本拠地)★

衣笠(名目上、松竹の本拠地)★

 

 

↑ 衣笠球場跡地。現:立命館大学。

衣笠球場は一応は松竹の本拠地となっていましたが、立地条件の悪さから実際には少ししか試合が開催されませんでした。

 

<基本アマ用の野球場>

八幡桃園

長野城山★

飯田城下▲

岡谷▲

福井市営★

金沢兼六園★

富山神通★

厚狭▲

倉敷市営

岐阜県営★

石巻▲

函館市民

小樽▲

札幌円山

青森市営

山形市営▲

徳山毛利▲

上田市営

県営松本▲

県営富山

多治見▲

浜松市営

静岡草薙

磐田城山

沼田町▲

 

これらの中には私が訪問した野球場がいくつもありますが、本拠地球場を除き現在アマ専用になっている場所に立つと「昔はこんな設備の野球場でプロ野球が開催されていたのだな・・・」と驚くことが多かったです。

 

 

↑ その一例。上田市営球場(長野)。

現在はほとんど軟式での利用になっているようです。

 

 

 

↑ こちらは福井市営球場。この球場は私の訪問後まもなく閉鎖・解体されました。

 

 

試合開催当時は今よりもマシだった野球場もあるでしょうが、反面当時はもっと簡素な設備だった野球場もあったかもしれません。

 

なにしろ高橋ユニオンズ~大毎オリオンズOBの佐々木信也氏の話では、同氏の現役当時(昭和31~34年)でさえ「プロ野球選手の社会的地位は今とは比べものにならないくらい低かった」のですからね。

甲子園や後楽園などNPB球団の本拠地になった野球場を除き、昭和20年代の試合開催球場がどんなレベルであったかはある程度想像がつきます。

 

 

↑ 大阪球場跡地の「なんばパークス」。 

実質松竹ロビンスの本拠地的な球場であった大阪球場ももはや消滅しました。個人的にこの球場の閉鎖・解体は「大阪のプロ野球文化の敗北」と思っています。

 

消滅した野球場の跡地や現在はアマ専用になっている野球場を訪れ、その一方で時々こういう昔のプロ野球にまつわる書物を読む。この反復によって時を旅する気分になります。

そして「先人たちがこれだけ苦労して繋いできた野球の歴史、これを守って後世に伝えるのが現代の野球人の務め」との思いを強めています。

 

 

↑ 松竹ロビンスを引き継ぐDeNAベイスターズの本拠地・横浜スタジアム。 

「傍系」とはいえ球団史の一部なのですから、ベイスターズ球団には出来ればロビンスを何らかの形で復刻・紹介して欲しいと思うのですがね・・・。

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