
消えた球場番外(旧・小田原球場跡地、そして小田原城)
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Mr.black
2025年07月28日 08:43 visibility80
今回、上府中公園の小田原球場でBCリーグを観戦する前に立ち寄った場所があります。
それは小田原城。早雲以降の北条家の拠点であり、全国のお城の中でもかなり有名ですね。過去小田原駅を何度か利用しましたが、お城は初めての訪問となりました。
時間に余裕が無かったので天守閣に入ってサクッと見物しただけですが、なかなか良いお城でした。
(天守閣のみの入場料は訪問時で大人510円。他施設との割引共通券もあり)
この天守閣の北側にかつて野球場がありました。それが前回少し触れた「初代・小田原球場」です。
(上の写真の赤で囲んだ場所)
戦後まだ間もない頃、お城の敷地の有効活用や、運動施設の充実などの目的で野球場が作られたようです。
その後、1990年代初め頃に現在の二代目・小田原球場が郊外に建設され、役目を終えた初代球場は消滅しました。
現存する野球場の行脚だけでなく、このように消えてしまった野球場の跡地を可能な限り訪問するのが私的ライフワークです。
球場跡地の敷地内での位置は赤で囲んだ部分。なお、この地図は南北が逆転しています。(下側が北)
ちなみに日本国内にはお城の敷地の一角に作られた野球場が結構あります。草野球や少年野球用の軟式専用球場もあれば、硬式野球で利用されている場所も。
私が実際に訪れた球場でとっさに頭に浮かぶのは明石球場(兵庫)と高田球場(新潟)です。明石は高校硬式の兵庫大会で利用され、高校軟式では全国大会のメイン会場となっています。
一方の高田球場ではBCリーグの公式戦を観戦したことがあります。
あいにく余所者なので初代・小田原球場がどの程度のレベルで利用されていたのかは知りません。球場の規格・設備なども不明です。なので今回のタイトルでは消えた球場の「番外」としました。
球場跡地は現在発掘調査中のようで、一般人は離れた位置から眺めることくらいしか出来ません。
ただし離れて見ることにより、元野球場だったことが形状から分かるのが逆にありがたいです。
赤が1塁側、黄色が3塁側、青が外野のフェンス近辺になります。
見た目では「軟式専用」っぽいのですが、別なお城ではもっと狭い状態なのに硬式で利用されていた球場もあったので、高校野球の硬式くらいまでの利用があったのかもしれません。金属バットが使用される前や、それ以降でも打力アップがまだ十分に進んでいない頃ならば高校生の打球はそれほど飛びませんでしたからね。
(池田高校が強打で高校野球の歴史を塗り替えたのは1982年~83年)
↑ 天守閣から眺めた球場跡地。
最後に。
個人的に悔やまれるのは愛媛の松山市営球場跡地に行きそびれたこと。松山城の一角に2000年代初め頃まであったそうです。
松山へは過去何度か訪れたのですが、跡地を見分する時間が作れなかったのです。もし次回松山訪問の機会があれば、とは思っていますが実現するかどうか・・・。
今回の小田原遠征記はこれで終了です。
目の調子は一進一退。調子の良い時に球場レポート・球場ネタ・特殊な試合の観戦記だけを更新するつもりです。
その際にはまたよろしくお願いいたします。
- 事務局に通報しました。
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