Fugazi

先日、馴染みのバーテンダーが、銀座の金春通りに自分の店を開いた。
彼がこれまでに勤めていたバーは、そのクラシックな雰囲気が人気の店だったが、今度の新店も、重厚な調度品がどことなくクラシックな雰囲気を演出している私好みのバーになっていた。暗めの照明に浮かび上がるバックバーを背景にシェイカーを振る彼の姿に、何の違和感も持たなかった。

その日も、ビールに始まり、モルトをニートで2杯飲みほろ酔い加減になったところで、仕上げに「処方箋」を頼んだ。
「処方箋」とは、様々な薬草酒を使ったカクテルで、彼がその時その時で使う薬草酒を選んでくれる。そんなオリジナルカクテルの、我々の間での呼び名なのである。

「処方箋」を飲み終えて店をあとにする。銀座駅に向かって足を速める。
ぎりぎりのところで、0時27分発、日比谷線中目黒行、最終に滑り込んだ。車内は座れない程度に乗客がいた。立っていることは苦ではないが、疲れているのか睡魔が襲って来る。
膝がガクッとなって目が覚める。こんなことを何度か繰り返して、地下鉄は六本木のホームに滑り込んで行く。何となく、流れるホームを見ていると、随分前に音信不通になった知人の姿が目に映る。

「理恵ちゃん・・・・?」

その女性が、明らかにこの最終の中目黒行を待っていたと認識した私は、車両を移動して、音信不通の知人かどうか確かめたい衝動にも駆られたが、半端でない睡魔に襲われた。

気がつくと、地下鉄は広尾を出発しようと、ドアが閉まりかけていた。半身になってやっとすり抜けることが出来るドアとドアの間をホームへと駆け抜ける。

改札を出るまで、音信不通の知人の影は私の頭の中から姿を消していた。

あの日、六本木の椿屋珈琲店の前で別れて以来、便りはない。不思議なことに帰路を歩く途中、彼女のことを思い出したが、そのまま彼女の影は、私の記憶から霧のように消えてしまった。

そのまま、最近、母親になった教え子のことや、子どもの教育に苦労している友人のことや、このところ親しくなれた女性の誕生日を祝おうと一緒に食事することを思い巡らせながら日赤通りを歩き、いつものところを左へ入る。坂を下りながら、途中のマンションの建設現場からクレーンの影がボォーっと浮かび上がる。
すると、黒塗りのタクシーが追い越し、私の20メートルぐらい先で止まった。近づいて行くと、後部ドアが開く。そのタクシーを通り過ぎるとき、中を見やると、グレーのスーツを着こなし、髪の襟足をきれいに整えた男が支払いをしている。

そのまま坂を下り、左へ曲がり、少しして家の玄関の鍵を開ける。中に入り、ドアの鍵を閉め、灯りを点けて、書斎へ行きジャケットのポケット中身を机の上に出していると玄関の鍵を開ける音がする。

そして、誰かが入って来た。








































あの日以来、私は目醒めていない・・・・

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