恐怖もまた舌先を駆け巡る極彩色の甘味である

受験の成否は、所詮、本人がきちんと自己管理ができるか否かによるものである。自己管理がきちんとできる者は成功するし、できない者は失敗する。そして、こうした自己管理能力(←やたらに「能力」という言葉を使いたくないが、適当な言葉が見当たらない・・・・)の土台は家庭教育で形成されるものである。その土台が出来上がっていないのにいくら学校教育を受けたところでうまくはいかない。すなはち、受験の成否は家庭の躾によるのである。もっと突き詰めて言えば親の人間性によって成否が決まると言える。なぜならば、躾や教育は、以前述べたように方法論の問題ではない。子供をうまく躾けられるか否かは見せる自分が親にあるかないかである。子供に見せるべき自分がないのに、口先で子供にあれやこれやと口喧しく言い立てたところで、それは虚しい。実がないのである。なので、子供は親から何も学ばない。それを受験の成否を学校の所為にするのはお門違いである。
そもそも、進学率の良い学校とは受験指導がうまいというよりも、合格する生徒を集めるのがうまいのである。それに、本来、学校は受験指導をするところではない。社会を支え得る人間を育てる場所である。ところが、それこそ時代の趨勢で、どこの学校でも受験指導をするわけである。まぁ、受験指導を通しても人間形成はできるので、学校で受験指導をするのはけしからんとは言わないが、まず、それが出来る教師はかなり少ない。それが出来たとしても、子供が躾けられていなければ、教師も教育も無力である。私の100人を越える優秀な教え子も海外の著名大学に進学したけれど、出来の悪い生徒に対しては無力だったなぁ。

要は話は簡単なんだよ。バカなガキの数と教育問題の数の間には正の相関関係があって、バカなガキの問題は親の問題である。時系列を考えても明らかでしょ?どこかの教育委員会のバカ共のように、親の愚にもつかないクレームに対して、子供を思うが故の親御さんのご意見ですなんてアホなことを吐かす奴らがいるから変なことになる。そもそも、指導主事って、落ちこぼれ教員の集まりじゃない?いい加減人の所為にするのは止めてほしいね。諸悪の語源は増え過ぎたバカにあることは、もう既に何度も述べた。

すなわち、子供の出来、不出来は親の躾如何によるというよりも、親の人間性によるところが大きい。これが理解出来ない親は親の資格はないね( ̄~ ̄)ξ

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