朝、目を覚ませば生きている。それだけで、きっと今日を生きる理由になるんじゃないかな?

人がやっとふたり通れる歩道で、連れと横並びになり話をしながらのんびり散歩をたのしむ。公道ならば、当然すれ違う人もいれば、足速に追い越して行く人もいる。
こののんびりと散歩しているふたりは、狭い歩道を横並びになって占領している。先を急ぐ追い越したい人間にとっては、このふたり、果たして迷惑なふたりなのだろうか?
かと言って、狭い歩道では、先を急ぐ人間もいるのだから横並びになって話などせず一列になり歩くべきなのか?

果たして、それは、個人の自由なのか、それともエゴなのか?


もし、そのふたりが、他人に気を配ることが出来ないふたりならば、その行為はただの個人のエゴになるだろう。
たとえ、後ろからでも先を急ぐ人間が追い越そうとしていれば、すぐに気がつき、さっと道を譲ることが出来れば、仮に気がつかなくても、急ぐ人間の「すいません」のひとことに、気がつかなかったことを恥じ入る気持ちがあれば、それは自由のもとに許された行為となるのである。

バカの手の中の“自由”はどうでもいい個人の“エゴ”と化すのである。



バカに自由はない・・・・




♪Deep Purple “FIreball” (1971)


















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