古いもの、優雅なもの、潔らかなもの、雄々しいものは悉く滅びた・・・・

毎年、4月になり新年度がスタートすると、新入社員、新入生が企業や学校に入って来る。そこで、まず問題になるのが、彼らのコミュニケーション能力なるものらしい。
そもそも、コミュニケーションの得て不得手は人それぞれあるにしても、ある程度、周囲とのコミュニケーションは取れて当たり前である。しかし、満足にコミュニケーションを取ることができないヤツがあまりに多いため「コミュニケーション能力」なる言葉が登場したのだろう。コミュニケーションが上手く取れない連中は、やはり端から見ていてまともではない。こんな連中がここまで増えたら、この社会はすでに崩壊を始めたと言ってよいのではないか。

このコミュニケーション能力の欠如の根幹には、やはり「エゴ」が潜んでいる。この「エゴ」というのは芸術家のエゴなどという高尚なものではない。疲れていて座りたいがために人を押し退けて電車に乗り込むとか、ゴミを持って歩きたくないため、自分ひとりぐらいはと考えその辺にうち捨てて行くといった、取るに足らない個人のつまらないエゴである。自己中心的な思考である。そんな連中は自己中心的だから、相手に伝わる言葉を選べない。自己中心的だから、共通認識を持ち得ない。彼らこそが、この社会を崩壊せしめる者なり(笑)

昔は社会の中にいろいろな制約があり、個人の行動は今よりはずっと制限されていた。もちろん、その制約から解放され良かった面もあったが、「個人の権利」という美名の下、社会の個人に対する制約がなし崩しに何でもかんでも自由にしてしまったのも、また事実である。そして、多くの人間は節操を失い自己中心的な思考の中に閉じ込められることになった。人間は、自由を本来の意味での自由として行使できる者と、自由を己の手の中で「エゴ」に変質させてしまうバカ者に分かれる。本来の意味での自由は、このバカ共の手の中で個人的でくだらないエゴイズムに変質したのである。そのため自由で平等な社会は紙に描いた餅のようなもので、バカが存在する限り、自由と平等がこの社会を崩壊させる。
残念ながら、現代においては自由を享受できるのは極限られた人間だけなのである。

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