母さんへ
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あっ!くま・・・・
2014年09月11日 18:20 visibility105
いつかはお別れのときが来るのはわかっていました。それにしても、私にとっては突然のことでした。年末年始にショートステイに行って見違えるように元気になって帰って来たときは本当にうれしかった。あの後、実家に泊まって母さんのとなりで寝かせてもらったとき、延々としゃべっていた母さんを見て、まだまだ長生きしてくれると思っていたのに・・・・今、大きな困惑と悲しみを感じています。そんな中でとにかく伝えたいのは「今までありがとう」という言葉です。いつも心のどこかで思ってはいたけれど、昔からけっこうポンポンときついことばかり言ってしまい本当にごめんなさい。「ありがとう」という言葉を直接伝えたかった。母さんが病気をしてから、もっと優しく接しなければと思いつつ、なかなかできませんでした。
私が幼い頃、体が弱く、いつもおぶって歩いて中山医院に連れて行ってくれたことをうっすら覚えています。今の母親にはなかなかできないことだと思います。感謝するとともに、そんな母さんは私の誇りです。高校の頃からずいぶんと長いこと毎日弁当やおにぎりを作ってくれたね。母さんの弁当を見ると誰もが「おいしそう」「きれいな彩り」と褒めてくれました。それなのに、私は自分勝手なことばかり言ってましたね。母さんの苦労も理解せず好き勝手なことばかり言ってごめんなさい。いつもとてもおいしい弁当でした。もう一度食べたいなぁ。
母さんの背中を見て学んだことはたくさんあります。毎日、毎日心を込めて手を抜かずに作ってくれた弁当やおにぎり。何事も徹底してやること、そして、正面からきちんと受け止めることを教えてくれました。このことは私という人間の柱となっています。私が教職という立場に身を置き、生徒に最も伝えようとしていることでもあります。そんな母さんのDNAとでも言うべきものが、何人もの生徒が受け継いでくれてます。そういう意味では、何人もの生徒の中で母さんは生き続けているのです。
そして、粘り強さも教えてくれましたね。今思うと、母さんは誰よりも働きました。私には想像もできないくらいたくさんの苦労があったことと思います。お疲れさま。先日、叔母さんが、母さんがもし男だったら社会でかなりの成功を収めていたのではないかと言っていました。確かにその通りだと思います。私などは到底足元にも及ばない・・・・
それから母さんとはよく喧嘩をしましたね。若い頃の私のありあまるエネルギーを正面から受け止めてくれましたね。どれだけ助かったかわかりません。母さんはいつも愛情深かった。ありがとう。
そう言えば、私は照れ臭くて、ずっと「母さん」とは呼べずに「おばさん」と呼んでいましたね。その照れを払拭することができて、ようやく直接「お袋」と呼ぶことができるようになってよかった。
いつも相手を傷つけないように言葉遣いを気にしていた母さん。そんな母さんとの思い出は尽きません。覚えてますか?私が高3のとき初めてのロックコンサートに付いて来てくれましたね。なぜ一緒に行くことになったのか覚えていませんが、アリーナ席のパイプ椅子にちょこんと正座して聴いていた母さんの姿が鮮明に目に浮かびます。当時、批判の的であったロックを聴いて、ロックという音楽が持つエネルギーを凄いと認めてくれたことを当時の私は自分自身を認めてもらったかのように喜んだものでした。この母さんの発言は、良いものは良いと偏見なしに物事を客観視する姿勢を教えてくれました。このことも、今の私という人間の根本をなすものとなっています。そう言えば、あのコンサートで来日していた Boston というバンドが35年振りに来日します。母さんが新たなステージに進んだ今年に奇しくも来日するなんて、なんか不思議な巡り合わせを感じます。それから、ハワイにも行きましたね。結局、母さんが行った海外旅行はハワイだけになってしまい、行きた
がっていたヨーロッパには行けずじまいになってしまいました。母さんをヨーロッパに連れて行ってあげたかったなぁ。母さんとよく揚子江でかに玉そばを食べたこと。母さんは冷やし中華でしたね。経理の仕事を手伝って帳簿をつけたり、そろばんを入れたり。母さんの肩叩きをしたり、思い出は尽きません。母さんは肩叩きをすると必ず気持ち良さそうに眠ってしまいましたね。その気持ち、今ではよく分かります。私もマッサージに行くと必ず眠ってしまいます(笑)あっ、私が今の家に越して来たときにもらったおもととシクラメンはまだまだ元気です。
この手紙に書いていることを直接母さんに話したかった。叔母さんが、母さんは私が夏休みになるのを待っていたんだよと言っていました。そうなんですか?病気で苦しんでいたのに気を遣わせてしまいましたね。ごめんなさい。何故、私は夏休みに入った最初の日にその時間を作らなかったのだろう?今更、悔やんでも遅いですね。
私の身辺についても心配をかけたままですね。ひとつでも安心させたかった。これからでは遅いのかもしれないけれど、両方とも母さんに安心してもらえるように頑張るからね。親父のことも心配しないでくださいね。
そして、私の健康をいつも心配してくれてましたね。大丈夫、健康には気をつけて天寿を全うして母さんに会いに行きます。ちょっと先になるけどマイちゃんと待っていてくださいね。
安らかに眠ってくださいとは言いません。何だか、次の人生がもうないように思えてしまうので・・・・向こうの世界でゆっくりのんびりして、次の人生の準備をして待っていてください。
今まで本当にありがとう!
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