
先発「3本柱」を考える 第3回 王者君臨編
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こじっく
2012年04月09日 23:36 visibility2126
V9巨人に匹敵する長期の黄金時代を築いたのは80年代から90年代にかけての西武ライオンズ以外にない。そう断言しても異を唱える人はそれ程いないでしょう。
85年から94年まで優勝9度。もし89年も優勝していれば日本プロ野球に例のないリーグ10連覇の偉業がなっていたわけです。しかも89年は近鉄、オリックスと歴史に残る三つ巴の激戦。こうして振り返ってみれば、優勝に肉薄しながら3位に終わったことが誠に惜しまれる結果でした。
さて、その時代のライオンズにも「3本柱」と呼ばれる3投手はやはりいました。渡辺久信、郭泰源、工藤公康の3投手です。85年から94年までの3人の成績を見て見ましょう。
渡辺 郭 工藤
85年 8勝8敗11S 9勝5敗 8勝3敗 ※優勝 79勝45敗6分
86年 16勝6敗1S 5勝7敗16S 11勝5敗 ※優勝 68勝49敗13分
87年 5勝3敗8S 13勝4敗4S 15勝4敗 ※優勝 71勝45敗14分
88年 15勝7敗 13勝3敗1S 10勝10敗1S ※優勝 73勝51敗6分
89年 15勝11敗 10勝10敗 4勝8敗2S
90年 18勝10敗 9勝4敗 9勝2敗 ※優勝 81勝45敗4分
91年 7勝10敗 13勝5敗 8勝15敗 ※優勝 81勝43敗6分
92年 14勝8敗 15勝6敗 16勝3敗 ※優勝 80勝47敗3分
93年 9勝14敗 8勝8敗 15勝3敗 ※優勝 74勝53敗3分
94年 9勝8敗 13勝5敗 11勝7敗 ※優勝 77勝53敗
優勝した年の「3本柱」の勝利数がチーム勝利数に占める割合は、
85年 3割1分6厘
86年 4割7分1厘
87年 4割6分5厘
88年 5割2分1厘
90年 4割4分4厘
91年 2割9分6厘
92年 4割6分3厘
93年 4割3分2厘
94年 4割3分4厘
となっています。ライオンズにはその10年の間に、「3本柱」に次ぐ存在として森山良二、渡辺智男、石井丈裕、新谷博らが時に「3本柱」の3人を凌ぐ様な活躍を見せる時がありました。先発投手陣だけでなく、球史でも屈指の強力打線や守備力、そしてリリーフ投手陣あってこその好成績であることは言うまでもありません。しかし、戦力充実のライオンズで10年もチーム内の競争に勝ち続け「3本柱」の座を守り続けたことの大変さは想像を絶するものだったのではないでしょうか。
広島、巨人、そして西武の往年の「3本柱」について見てきました。比較してみて、どの「3本柱」が一番であったか・・・それは簡単に結論の出せる問題ではありません。数字だけでは計り知れないすごさがどの「3本柱」にも、そして取り上げた9人の投手それぞれにもあります。
優勝回数という結果だけで見ればライオンズの「3本柱」が一番かも知れません。比較的打線の援護が期待できなかった中で奮闘したという点では広島の「3本柱」が賞賛されるべきでしょう。そして、この3回のシリーズの中で取り上げた広島の82~91年、巨人の87~96年、西武の85~94年で、最も「3本柱」が上げた勝ち星が多いのは巨人の402勝なのです(広島361勝、西武333勝)。まさに優劣をつけるのは不可能です。
広島、巨人、西武はまたいつか強力な「3本柱」を擁して黄金期を築くことができるでしょうか。それとも他の球団が先駆けて「3本柱」を確立し、長期に渡り安定した成績を残す時代を迎えるのでしょうか。
各球団の若い先発投手の切磋琢磨に期待したいと思います。
- 事務局に通報しました。
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