僕だけのジンクス 8月31日に何かが起こる
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こじっく
2013年12月05日 12:44 visibility390
冒頭に野球の写真が出てきても非野球です。
シーズンオフとはいえ、どこまで続く僕の非野球日記[d223]
8月と言えば、甲子園。
高校球児でも甲子園に出場できる選手は一握り。
甲子園に縁がないどころか、高校球児ですらなかった僕にも8月には特別な思いがあった。
20歳ぐらいの頃まで「自分にとって毎年の8月31日は何かが起こる日」というジンクスを勝手に作ってワクワクしていた。
実際、なぜか少年期の8月31日は何かが僕の身に起こっていた。
小学校4年の8月31日におばあちゃんがムカデに刺されて夜中に病院に行った・・・とか、
小学校6年の8月31日に熱を出して塾のテストが受けられず、悔しい思いをした・・・・とか、
高校2年の8月31日は部活が休みだったのに首を寝違えて接骨院に行ったので遊びに行けなかった・・・とか、
今思えばたかがその程度のことなんだが、毎年の「8月31日のエピソード記憶」と言うものは20歳頃までかなり鮮明に覚えていたと思う。きっと、夏休みが終わることに感傷を持っていたのだろう。
ムカデや発熱や寝違えとは違って・・・・大学1年生(18歳)の8月31日には忘れ得ぬ思い出がある。
その日は塾講師のアルバイトの最後の日だった。
僕が担当していた小学校4年生のクラスにNちゃんという子がいた。
Nちゃんは勉強よりもクラスメートにちょっかいを出すために塾に来ているのではないか、と思うぐらい授業中も遊んでばかりいた。
僕は自分が受け持つようになった早い時期にNちゃんの席を一番前にして、いたずらができないようにしてしまった。
「先生、元の席に戻して~」
「ダメっ!」
こんなやりとりをしていたが、Nちゃんはいつの間にか勝手に元の席に戻っていたような・・・。
しかし、Nちゃんのいたずらや授業中のおふざけは止まず、ついに僕は授業のあとNちゃんを教室に残してきつくお説教をすることになった。
「Nちゃん、僕はNちゃんのお父さんとお母さんからNちゃんを預かって勉強を教えてるの。Nちゃんが勉強しなかったら、Nちゃんのお父さんとお母さんに申し訳ないんだ。次ふざけたらお父さんとお母さんにお話するからね・・・」
とでも言った様な記憶がある。確かに覚えてるのはNちゃんが
「お父さんとお母さんにお話するの?」
と僕に反問したことだ。
「ああ、残念だけど、しなきゃいけないかも・・・。」
それから、Nちゃんは授業中に元気がなくなったように見えた。
僕のお説教が効きすぎたのかな?でも、あの程度のお説教で・・・・。
と僕が思った頃、教員控え室で正社員の講師の方からNちゃんについてある話を聞かされた。
「Nちゃんはこの夏休みで塾やめます。Nちゃんのお父さんが面談の時『この塾に来てもNちゃんの成績が上がらないのは砂地に水をまくようなもんだ』って言ってましてね・・・。」
Nちゃんは最後まで元気がないまま塾を去ってしまうのか?
僕は何となくやりきれない思いをかかえたまま、8月31日を迎えようとしていた。
8月30日の夜、ベッドで寝転びながら夜空を見ていると流れ星が光った。
ひと夏、塾の講師や色んなアルバイトをがんばったご褒美に思えた。
Nちゃんと僕にとって最後の授業の8月31日。
Nちゃんは僕に手紙を渡してくれた。
「りぼん」だか「なかよし」だか分からないが、漫画雑誌の付録についている便箋に鉛筆で書かれていた。
「先生の授業を受けることがとても大好きでした。それは、先生の授業が分かりやすかったからです。」
というような内容だった。でも、渡してくれたNちゃんの顔には確かに悲しみが浮かんでいるように見えた。
「Nちゃん、ありがとう」
僕はそれだけ言うのが精一杯で、後はNちゃんをまともに見られなかった。
その晩、僕はコンビニ夜勤のアルバイトに向かう電車の中で、大事な手紙を何度も読み返した。
そして、コンビニの前の歩道橋の上でひとり涙した・・・。
今思うと、僕って昔から随分自己陶酔の強い男だな・・・と思う。でも、この思い出を書きながら、18歳の夏休みの色々な思い出が溢れるように甦ってきた。Nちゃん以外にも、あのクラスには色んな思い出があって・・・間違いなく、僕はあの夏、Nちゃんとそのクラスメートのみんなから多くのことを学ぶ幸せな時間を過ごしていたように思う。
Nちゃん、そしてあのクラスのみんな、ありがとう。
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