HEIANの思い出

 仕事が立て込んで、しばらく記事が書けない日々になってしまいました。

 

 その間に全日本大学野球選手権が終わってしまいました。

 

 母校立命館は一勝も刻むことができず、同じ京都の龍谷大学に敗れてしまいました。

 

 投打にバランスよく戦力充実していた母校ですが、一発勝負には弱いのでしょうか。

 

 春のリーグ戦、第一節の関西大にまさかの2連敗から盛り返し、優勝をさらっただけに、この幕切れは惜しまれました。

 

 でも、その龍谷大が地力では上回ると思われる東海大を下し、準決勝まで進出したことは京都人として嬉しさを感じました。

 

 早くも秋のシーズンが楽しみです。

 

 さて、京都も、もうすぐ夏の高校野球のシーズン。

 

 昨日、新聞で懐かしい選手が出ている記事を目にしました。

 

 1990年の夏の甲子園。

 

 京都代表は平安高校(現・龍谷大平安)でした。

 

 かつては全国優勝も果たし甲子園の常連だった平安ですが、この頃は長い低迷期に入り、毎年のように夏の予選で上位に進出しながらも、大一番では力尽きてしまう・・・というパターンを繰り返していたように思います。

 

 確か、このころ、夏の予選3年連続準優勝という痛ましい出来事もあったように思います。

 

 その悪い流れを断ち切ったのが1990年のチームでした。

 

 2年生エース西村投手を中心に、打線にも後にプロ入りを果たす強打者を擁し、鬼門の決勝も北嵯峨に快勝して甲子園をつかみました。

 

 僕が野球を見るようになってから平安が甲子園に出るのは初めてでした。

 

 平安が甲子園に出ると、京都が確かに活気づく様に感じられました。

 

 デパートの大きなTVの前の人だかり。

 

 湧き上がる歓声。

 

 多くの人が選手の個人名を挙げて声援を送る姿に、「ああ、やはり京都人にとって平安は栄光の思い出とともにある特別な存在」の思いを強くしました。

 

 甲子園の初戦、これぞ盛夏という青空の下、優勝候補といわれた東京の強豪 関東一高を5-3で下し平安の校歌が銀傘を揺らす光景がTVに映ったとき、本当に感激しました。

 

 2回戦も鳥取の境高校を退けて3回戦に進出。

 

 相手は香川の丸亀高校でした。

 

 この日の試合は雨でした。

 

 平安西村、丸亀福家の好投手同士の投げ合いになり、両校ともチャンスは作りながらも得点できず、試合は0-0のまま延長戦へ。

 

 そして延長14回。

 

 丸亀高校が均衡を破る1点をあげるとそれが決勝点となり、平安は敗退。

 

 平安の選手の一投一打も見逃すまいと長時間TVの前にくぎ付けになっていた僕は、どっと疲れを感じました。

 

 翌年、平安高校は甲子園に出場を果たすことができませんでした。

 

 確か、予選で西村投手が突然崩れ、大量失点を喫して敗れた記憶があります。

 

 しかし、その6年後、平安は川口投手という90年代の高校野球界を代表するような大型左腕投手を擁し、春夏の甲子園を沸かせます。

 

 それでも夏は深紅の優勝旗に手が届かず準優勝に終わってしまったことは、残念でした。

 

 今、平安高校は龍谷大平安と名を変え、僕の住んでいる家のすぐ近くにある練習場で厳しい練習を積んでいます。

 

 僕の母校は立命館ですが、昨秋は母校が龍谷大平安に勝ち、今春は龍谷大平安が母校に雪辱しました。

 

 今年の京都は、勝負強い鳥羽高校が一歩抜きん出ているいる気がしますが、他校にも十分チャンスはあると思います。

 

 京都の学校は、どの学校も親しみを感じ、甲子園に出た時は素直に応援したい学校ばかりです。

 

 しかし、母校と龍谷大平安の動向はいつも気になります。

 

 勝ち上がればどこかで刃を交えることになります。

 

 選手のみなさんにとって悔いの残らない好試合を期待したいです。

 

 ああ、夏が来るんだなぁ・・・。

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