忘れ難い遅咲き選手たち

 「厚い選手層に阻まれているが出場機会さえあれば活躍できる」

 

「ベンチを温めているが本当は常時試合に出ることで力が発揮できるタイプ」

 

「チャンスに恵まれていないが実力はレギュラークラス」

 

このようなフレーズがあてはまる選手が、高校野球からプロ野球に至るまで、日本中にたくさんおられると思います。

 

一見褒め言葉のようで、実は残酷で、胸の痛むような文言です。

 

しかも、このようなフレーズのピッタリくる選手というのは実に生真面目で、努力家で、陰日向なくチームのために頑張っている人が多い・・・というのはあまりに主観的な感傷に過ぎないのでしょうか。

 

それはさておき・・・。

 

阪神ファンの僕にとって忘れられない選手の一人に平塚克洋選手がいます。

 

1990年に大洋ホエールズに入団し、その後オリックスに移籍。

 

仰木監督から4番打者に抜擢された試合でホームランを放ち実力の片鱗を見せた試合もありましたが、なかなかレギュラー定着を果たせず、1996年阪神にやってきた選手です。

 

弱投貧打にあえいでいた暗黒時代の阪神にあって、出場機会をつかむと忽ち105試合に出場。

 

打率.254 11本塁打 47打点とチームの主力に台頭します。

 

翌1997年は全135試合に出場し.293 17本塁打 68打点 堂々たる主軸打者としての成績を残します。

 

17本塁打 68打点という数字は一見物足りないように感じられるかも知れませんが、打率.293はセリーグ15位。この年の安打数142は巨人の松井秀喜選手と2本しか違わないのですから、レギュラーとしては十分な成績だったといえるでしょう。

 

翌98年からは平塚選手自身の故障もあってレギュラーの座を明け渡し2度と返り咲くことはありませんでした。

 

それでも、1996年、97年の平塚選手の活躍は忘れ難いものがあります。

 

同様に、平塚選手の活躍の少し前の1995年、日本ハムファイターズの渡辺浩司選手がプロ14年目にして二塁の定位置をつかみ、自身のキャリアで初の規定打席に到達するという快挙がありました(.246 3本塁打 45打点)。

 

また、今思い出したのですが、同じく95年にオリックスで「守備固め」だった馬場敏史選手が30歳にしてサードのレギュラーを手中にしました。

 

実力があっても発揮する機会に恵まれなかったり、適性と違う起用をされていたり、誤った評価を下されチャンスすら与えられていない・・・。

 

そんなことは野球に限らず、どんな世界にもあることだと思います。

 

人間が人間を評価する以上、そのようなことは不可避とも言えます。

 

しかし、長年、2軍にいたり、ベンチを温めていた選手が突如覚醒したかのようにグランドで輝きを放つことは、野球ファンとして応援するチームを超えて声援を送りたくなる場面だと思います。

 

これからも第2の平塚選手のような遅咲きのレギュラーが長年の鬱憤を晴らすような活躍を見せる・・・。

 

このような場面はチームの編成上、必ずしも手放しで喜べることではないかも知れませんが、チャンスがくるまで努力を怠らなかった大器晩成型選手の姿勢は、我々に大きな勇気を与えてくれるのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

chat コメント 

コメントをもっと見る

通報するとLaBOLA事務局に報告されます。
全ての通報に対応できるとは限りませんので、予めご了承ください。

  • 事務局に通報しました。