我的愛球史 第7話 スーパールーキー


 (写真と記事は関係ありません)

僕が小学6年生だった1987年のプロ野球については思い出があり過ぎて、3つ4つは記事が書けそうです。

 まず、僕は喘息を患っていたので、近所の病院の待合室にあった「アサヒグラフ」でプロ野球キャンプ特集を読んでいました。

 中日星野仙一監督とロッテ有藤道世監督のお二人の記事が多かった。

 あと、巨人のページが多くて、吉村禎章選手と桑田真澄選手の写真が多かったのを覚えています。

 夕方のニュースで桑田選手がキャンプ地で地元の子どもと遊んでいる映像が流れ(外国人の子どもだったような・・・グァム島かな?)、

 「あ、桑田選手って、意外と優しい人なんだ」

 と、今思えば失礼極まりないことを思ってしまったことを昨日のことのように覚えています。1987年は桑田投手の大活躍の年でもありました・・・さらっと書きましたがまた別の記事でしっかり触れましょう。

 そして、アサヒグラフの話題で何が書きたかったかといえば、西崎幸広選手。

 病院につきそいで来てくれていた祖母が、横から覗いて、

 「この人、男前やな?どこの選手や?」

 と、興味を示したのです。

 「日本ハム・・・」

 と答える僕も、西崎選手はとても男前に見えました。野球の実力もすごいとはその頃は思わなかった・・・西崎選手、失礼しました。87年シーズンは大活躍!新人王は阿波野秀幸選手に譲りましたが、その後「トレンディ・エース」として2人で一時代築きましたね。

 西崎選手とはその後意外な接点(めちゃくちゃ小さい接点ですが)がありまして、大人になった僕が家庭教師で行かせて頂いたお家のお父さんが西崎選手と中学野球部の同窓だったのです。卒業アルバム見せてもらいました。やはり美少年でした。

 そして、アサヒグラフにやはり期待の新人として紹介されていたのが、近藤真一投手、中日のドラフト1位です(西崎選手の話題ででもうちょっと引っ張ると、日本ハムも近藤選手に入札していたのでした。外れ1位で西崎選手ね)。

 近藤投手を見て最初の僕の感想。

 「わぁ、この人、18歳なのに髭が濃い・・・」

 小学生の視点なんてこんなもんですよ・・・って、全然野球と関係ない。

 近藤選手のすごさは何となく、前の年の甲子園で話題になったことから知っていました。

 しかし、そのすごさを思い知るのは夏休みに入ってからでした。

 近藤投手はジュニアオールスターで巨人の井上真二選手(後にイースタンリーグのホームラン記録を作るスラッガーです)にホームランを浴びるなど、まだまだ発展途上のように思えました。

 しかし、8月10日の朝刊にすごい記事が載りました。まず、見出し・・・

 「近藤ノーヒットノーラン」

 その下に、ガッツポーズ決める近藤投手の写真。

 そうです。1987年8月9日満月の夜、中日ドラゴンズ近藤真一投手(18歳11ヶ月)は、読売ジャイアンツを相手にナゴヤ球場でプロ初登板、初勝利をノーヒットノーラン(四球2、失策)で飾ったのです。

 8月10日は小学校の奉仕作業で6年生みんなが登校し学校のガラス拭きをしたのですが、ガラス拭きそっちのけで近藤投手の話題で盛り上がっていました。

 「近藤、すげえな!」

 ここは関西なので、巨人はともかく中日の話題なんてそれまで誰もしなかったのに、その日は中日一色。まあ、われらの阪神がすでにダントツ最下位だったこともありますが。

 そして、その後も近藤投手は勝ち星を挙げ、シーズン終わると4勝5敗の高卒新人としては十分な好成績。しかも完封3が光ります。

 しかし、近藤投手にプロ初被弾を浴びせたのが・・・この年、見事開花した巨人の桑田真澄投手19歳なのでした・・・。


 

 
































































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