import_contacts 「我的愛球史」に関するブログ
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<写真> (写真と記事は関係ありません) 2003年の阪神タイガースは開幕前から優勝への期待が高く、関西では「阪神優勝内定号」という奇妙なタイトルをつけた雑誌がコンビニに並ぶなど、例年にない雰囲気でした。 事実、2003年の阪神は井川慶投手を立てた開幕戦こそ落としますが、その後は超安定飛行を続けます。 5月9日には浜中おさむ、片岡篤史、ジョージ・アリアスの3選手による3者連続ホームラン。 85年の...
|14年前 -
<写真>(写真と記事は関係ありません) 2002年の星野阪神のスタートはこの上ないものになりました。 開幕巨人2連戦を2連勝。 オープニングゲームで勝利を挙げた井川慶投手を祝福する星野監督に歓喜と安堵の笑みが広がります。 その勢いのままタイガースは走り、開幕7連勝を飾りました。 どんなに好スタートを切っても、野村監督1年目での大失速が頭から離れない僕らは、転落の始まる日がいつ来るのか気が気でありま...
|14年前 -
<写真> 2001年、当時の関西3球団のうちのひとつ大阪近鉄バファローズが、その歴史の中で最後の優勝を飾りました。 近鉄はこの年、西武、ダイエーと三つ巴の優勝争いを繰り広げ、数々の名勝負を残しました。 僕が印象に残っているこの年の近鉄の試合は3試合あって、まず8月3日の岩隈久志投手のプロ初完封勝利。 あの時は今とフォームが違って、 「あんなテークバックでよくボールが走るもんだ、不思議なピッチャーだ...
|14年前 -
<写真> (写真と記事は関係ありません) 2001年の晩秋、阪神タイガース野村克也監督の身に、思いがけない問題が持ち上がりました。 夫人の脱税問題でした。 日に日に高まる事件報道。 野村監督への批判も避けられない状況になっていきました。 家族の脱税は許されないことです。 野村監督の「監督責任」「監督能力」を問われても仕方ありません。 しかし、連日の「これでもか!」というマスコミの過熱報道ぶりに、野...
|14年前 -
<写真> (写真と記事は関係ありません) この日記で通算100冊です。でも、いつもどおりに淡々と綴りたいと思います。 ・・・2001年の阪神について書こうとすると、どうしても淡々となってしまいます。 プリンス新庄剛志が去り、外野に開いた大きな穴を埋めるのは大きな課題でした。 しかし、入れ替わりで入団した細身の小柄な選手がその大きな代役を見事に務め、走塁面では前任の大スターを凌ぐ活躍を果たし、いつし...
|14年前 -
<写真> (写真と記事は関係ありません) 2000年の阪神タイガースは懸案の長距離砲の獲得はなりませんでしたが、FAで星野伸之投手を獲得。 実績ある星野投手にファンは大いに期待しました。 「投球術に秀でた星野投手なら、30歳を越えての入団でも長く阪神のエースを張ってくれるのではないか」 そう思ったファンは多かったのです。 しかし、開幕投手として横浜スタジアムで投げた星野投手は早々と降板。「抑える時...
|14年前 -
<写真> (写真と記事は関係ありません) 野村克也監督フィーバーで阪神が沸いた1999年の春。 甲子園でのセンバツ大会に野村監督の母校、京都府立峰山高校が初出場しました。 丹後地域から初の甲子園出場です。 丹後地域からの甲子園出場は、地域の悲願でした。 平安高校や京都商業が強かった時代、同じ丹後の宮津高校が夏の京都府大会を制しながら京滋大会に敗れ甲子園に出られなかったという悲劇がありました。 つい...
|14年前 -
<写真> (写真と記事は関係ありません) 1999年、野村克也阪神新監督の一挙手一投足に我々阪神ファンは注目しました。 特別に注目しようと思わなくてもマスコミが連日報道してくれたのです。 パンツの色から選手指導の時に座ったゴルフ様の椅子から何から何まで話題になりました。 野村監督の阪神での野球のキャッチフレーズは「ID野球」ならぬ「TOP野球」! それが何の略かと言いますと・・・忘れてしまいました...
|14年前 -
<写真> (写真と記事は関係ありません)1998年秋。「阪神次期監督に野村克也氏」 僕らファンは驚きとともに、納得、安堵、期待、喜び・・・そして一抹の不安という複雑な感情が胸の中を波立つことを抑えられませんでした。 「あのノムさんが虎に来るの!良かった、やっぱり、阪神は優勝目指す気なんだ。しかし、来てくれるのかな・・・」 野村監督はヤクルトを90年代を象徴する強いチームに育成しながら、97年頃から...
|14年前 -
<写真> (写真と記事内容は関係ありません) 1998年の阪神タイガースは球団史上有数の悪い年でした。 まず、第46話でも書きましたが、かつてのミスタータイガースであり、2度にわたり監督も務められた村山実さんが亡くなられました。 そして、主力選手のひとりが脱税の当事者として裁判を受け、開幕から出場停止を命じられました。 最も悪かったことは、8月4日から16日にかけての12連敗。球団ワースト記録です...
|14年前 -
<写真> (写真と記事は関係ありません) 実は、1997年、阪神タイガースは優勝していたのです。 阪神ファンの僕も忘れていましたが、確かに優勝していたのです。 歓喜に浸れたのは1日ぐらいでしたが、本当にスポーツ新聞の一面は「阪神優勝」でした。 ガセではありません。 さすが福の神吉田義男監督、3度目の阪神監督就任でもやってくれました! 本当です。 ただし・・・開幕前に行われた「ナゴヤドーム・トーナメ...
|14年前 -
僕は高校野球が大好きです。 好きな学校を挙げれば・・・まず北大津高校。大ファンです。自分の母校ではありませんが縁を感じています。今、一番応援している学校です。 宜野座高校も好き。八重山商工も。それから隠岐高校も甲子園に出た時は嬉しかった。 一度だけ甲子園に出た中標津高校も忘れがたい。 山梨の市川高校は僕の人生に影響を与えてくれた学校です。一生忘れないでしょう。 甲子園に出たことはありませんが、鳥取...
|14年前 -
1997年の阪神タイガースや高校野球の話を書こうと思ったのですが、1997年といえば、もう20代にどっぷり突入していました。 と、なると、回想していても、もう10代の思い出を書くことがないな・・・と思いました。 そこで、10代の頃、僕が大好きだった野球映画について書きたいと思います。 まず、小学校6年の7月に一度だけテレビで見たきりだったのに強烈な印象を残した「瀬戸内少年野球団」。 敗戦直後の日本...
|14年前 -
<写真> 昨日の日記で95年のオリックスブルーウェーブについて書いたので、96年のオリックスについても書いておきたいと思います。 あれは2年ごしのドラマだったと思いますので。 96年のパリーグを開幕から盛り上げたのは日本ハムファイターズでした。 長く優勝から遠ざかっていた鬱憤を晴らすような進撃ぶりで、追走するオリックスも差を詰められません。 しかし、盛夏を過ぎる頃から日本ハムは失速。 順位は入れ替...
|14年前 -
<写真> 僕は雑誌の「Number」が大好きなのですが1995年に発行された376号のタイトルが素晴しくて忘れられません。 「ブルーウェーブ 波光きらめく」 表紙はもちろん、イチロー選手。 チームの愛称がブレーブスからブルーウェーブになり、西宮球場から神戸に移転した時は、「なぜ伝統のブレーブスの名を捨てるのか!」と思ったのですが、この時は素直に「ああ、いいな・・・優しくて、しなやかで・・・震災から...
|14年前 -
<写真> 1995年1月17日未明。 当時僕は京都の私立大学に通う大学生でした。 後期試験の真っ最中で、僕は夜中過ぎまで勉強してから、試験のことを心配しつつ布団に入っていました。 5時47分・・・突然、大きな揺れを感じました。 自分の布団の上に文庫本やら筆記用具やらが雨のように降ってきました。 「地震だ!」 僕は布団の中に頭を隠しました。 「揺れが止まらん、長いぞ・・・こんなの初めて・・・」 1分...
|14年前 -
<写真> (記事と写真は関係ありません) 1994年の阪神タイガースの補強ポイントははっきりしていました。 得点力アップ!とにかく現状のチームにいない長距離砲を必要としていました。 FAでオリックスの石嶺和彦選手を西武や中日との争奪戦に勝って獲得します。 「西宮球場でプレーしていた時、甲子園のお客さんの歓声が風に乗って聴こえてきて・・・」 石嶺選手は人気球団である阪神でのプレーに大きな希望を持って...
|14年前 -
<写真> (写真と記事は関係ありません) 1994年のタイガースを回顧する前に、どうしても書きたかったことがあります。 僕が高校に在籍していた1991年(平成3年)から1993年(平成5年)までの甲子園についてです。 この3年間、自分と同じ学年の高校球児が甲子園で活躍していたのです。 ですから、思いいれはすごくあるのですが、僕も部活をしていたので(野球じゃないんだよな・・・)中学時代のように家でテ...
|14年前 -
<写真> 雪辱を期して臨む1993年がやってきました。 阪神に移籍してきた松永浩美選手は、春のキャンプから、いや自主トレの時から溌溂としていました。 スポーツ誌もそんな松永選手に好意的な記事を連発していました。 松永選手は本当に闘志にあふれていたと思います。 それは開幕戦での5安打という結果が証明しています(4安打だったかな・・・)。 しかし、チームは仲田幸司を立てて大敗。 いやな予感が漂います。...
|14年前 -
<写真> (写真と記事は関係ありません) 今日はプロ野球ドラフト会議。 僕は例年この日をクリスマスよりも元旦よりも、自分の誕生日よりもワクワクして迎えています。 阪神は抽選に弱く、清原和博さん、野茂英雄さん、松井秀喜選手・・・と、もし入団すれば阪神の歴史を変えていたであろうその年の注目選手を悉く外してきていますが、今年あたり、ぼちぼち大当たり引きそうな予感がしています。 さて、久しぶりの「愛球史」...
|14年前