我的愛球史 第47話 「出場停止からの奮起」


 (写真と記事内容は関係ありません)

 1998年の阪神タイガースは球団史上有数の悪い年でした。

 まず、第46話でも書きましたが、かつてのミスタータイガースであり、2度にわたり監督も務められた村山実さんが亡くなられました。

 そして、主力選手のひとりが脱税の当事者として裁判を受け、開幕から出場停止を命じられました。

 最も悪かったことは、8月4日から16日にかけての12連敗。球団ワースト記録です。

 この年、阪神は前年に吉田義男監督の指揮で最下位を脱出できたこともあり、さらなる浮上を狙って大掛かりな補強を行っていました。

 打力のある関川浩一選手と守備の要である久慈照嘉選手を放出してまでも、中日から大豊泰昭選手と矢野輝弘選手を獲得。懸案であった長距離砲と正捕手候補の獲得が目的であったことは言うまでもありません。2人は1998年のレギュラーとして貢献します。

 さらに前年は外国人選手が全くと言っていいほど振るわなかったことから、ハンセン、パウエル、ウィルソン、メイ、リベラ、クリーク・・・と外国人選手を揃えます。パウエル選手は中日で3年連続首位打者をとったあのパウエル選手です。

 本気でチームの骨格を変えて優勝争いを狙っている・・・という意気込みはファンも感じることができました。

 しかし、開幕から負け続けます。

 新人の坪井智哉選手が首位打者を射程にいれる高打率を維持したことが目を引くぐらいで(最終的に.327で惜しくもタイトル獲得ならず)、あとの選手の打撃不振は目を覆いたくなるばかり。

 特に130試合以上出場して6本塁打に終わった新庄剛志選手は一体何があったのか?と思わずにいられないほどのパワーダウン。

 巧打で長くチームを牽引してきた和田選手までもバットは湿りがちで7番打者に下がることが多くなりました。

 豪華な外国人選手も野手陣はほぼ壊滅といっていい成績。投手ではメイ、リベラ両選手がまずまず期待に応える働きを残してくれましたが、チームを勢いづけることはできませんでした。

 52勝83敗で勝率.385。

 吉田監督は辞任。

 後任に挙がったのは、意外な人物でした・・・この話は次回に譲るとしまして・・・。

 1998年、散々なシーズンではありましたが、5月26日中日戦で球団史に残るノーヒットノーランを達成しファンの快哉浴びた選手が出ました。

 川尻哲郎選手。

 自らの過ちが招いた開幕出場停止ではありましたが、見事に発奮しての快挙達成にファンは心から拍手を贈ったのでした。

 







































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