我的愛球史 第23話 それぞれの開花期


(写真と記事は関係ありません)

 1989年のドラフト会議の目玉は新日鉄堺の野茂英雄選手、慶応大学の大森剛選手そして上之宮高校の元木大介選手の3人と言われていた。

 僕は野茂選手を阪神が引き当てるのか、元木選手は巨人に指名されるのか、そして大森選手はどの球団に指名されるのか・・・ドキドキしながら自分の部屋でラジオを聴いていたことを覚えています(中学生だったのでテレビ買ってもらえなかったのです)。

 野茂選手はリーグ優勝の余勢をかったのか近鉄が交渉権獲得。大森選手は巨人が単独1位指名。そして元木選手は野茂選手を外したダイエーに指名・・・というのがこの年のドラフトの結末でした。

 阪神が野茂選手の外れ1位で指名したのが法政大学の葛西稔選手でした。

 新聞にはドラフト1位指名された喜びを率直に表し、学生服姿で投球フォームを披露する葛西選手の写真が載りました。

 アンダースロー投手の1位指名は新鮮に思えました。

 ちなみに、同じ紙面に、大洋から1位指名された東北福祉大佐々木主浩選手がダルマに目を入れている写真が載っていたと記憶しています。二人は東北高校のチームメートでしたね。

 葛西選手は入団契約時の記事では確か「目標3勝以上」と発言されていたような記憶があり、「随分控えめな・・・」と僕は一抹の不安を覚えたのでした(5勝以上だったかな・・・)。

 そして、その不安は的中してしまいました。

 翌90年のシーズンは新人王やMVPなど各賞総なめの近鉄野茂英雄選手を筆頭に、新人選手の当たり年!

 近鉄石井浩郎選手が肝炎を克服して後半戦で猛打を爆発。

 西武潮崎哲也選手がセットアッパーとして優勝に貢献。

 ヤクルト古田敦也選手がレギュラーに定着してオールスターにも出場。

 同じくヤクルト西村龍次選手も先発の一角に。

 中日与田剛選手がストッパーとして速球王の名を欲しいままにする。

 ロッテ小宮山悟選手が新人らしからぬ投球術でファンを唸らせる。

 日本ハム酒井光次郎投手が10勝を挙げ「サッシー」の愛称で人気を博す。

 広島佐々岡真司投手が先発、抑えに大車輪の活躍。サヨナラホームランさえ打つ!

 ・・・しかし、葛西選手は調子があがらず、目標にあげた数字どころか未勝利に終わってしまう。

 チームの最下位に終わり、もう、阪神タイガースというチームすら南海や阪急のように身売りで無くなってしまうのではないか・・・というぐらい深刻な雰囲気に包まれました。

 しかし、葛西選手は翌91年に開花しました。

 確か札幌円山球場のヤクルト戦だったか・・・。

 先発した葛西選手は若い山田勝彦捕手とののバッテリーでヤクルト打線を翻弄。

 その試合が勝ったのか、結局負けたのか、引き分けたのか忘れましたが、本当にいいピッチングをしたのです。

 そして、その後も好投が続き、勝ち星も連ね、この年は先発として十分な活躍を果たしました。

 それが翌92年の開幕投手抜擢、チームの優勝争いにも繋がっていったのです。

 その後は先発としてはなかなか結果が出ませんでしたが、96年頃からはリリーフとしてチームを支え、リーグ最多登板さえ記録する「中継ぎエース」として貢献。

 野村監督になってからは左腕遠山投手との「葛西−遠山スペシャル」で話題になりました。

 もう、あんな投手起用見られないかも。

 こうして見ると葛西選手は、開花期こそ90年に間に合わなかったけれど、その後十分に長く花を咲かせた選手だったことが分かります。

 それも決して派手な大輪ではなかったけれど、強いしっかりとした花だった。

 そして、同じ東北高校出身の佐々木選手も90年は十分に開花できず、91年から頭角を現したことも興味深い一致です。

 人は皆、開花期が違う。

 例え、今結果が出なくても、未来を信じて地道に努力すると必ず自分の花を咲かせられる・・・このことを僕は阪神を応援するなかで葛西選手から学んだ気がします。

 またいつか指導者としてユニフォーム姿が見たいです。

 











































































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